◎起こるものが何であろうと私はそれを自分の意志とする
三島由紀夫は、自分の出生のシーンを記憶していると主張していた。出生シーンを更に遡ると、中有に至り、過去生へと至り、さらにどんどん遡行すると、人によっては、銀色の輝く円盤で地球に降り立ったシーンを目にする者もいる。
『死ぬこと生きること/OSHOバグワン/市民出版社』の最終章の質疑では、彼の死の見方が凝縮されている。大悟を至上と考えているのであれば、死に際して微細身が頭頂のサハスラーラから出ることを最優先に考えるべきだが、死の直前の生命エネルギーの集中は、その人が生涯で最も使ったチャクラ(センター)に集中され、そのチャクラから微細身が出るとしている。要するにあまり頭頂から微細身(メンタル体)を出さねばならないことにはこだわっていない風なのだ。だが、彼自身は、そんなことは百も承知ではある(この本にはそれは書いていない)。
彼の説明では、人間は呼吸も脈拍も心臓も意志で制御できる。そのような自発的意志をもって、生命エネルギーを内側から収縮させ、ある一点に集中させると肉体は死んだように見える。種のようになる。その時身体から出ることを思うと微細身が体外に出る。
死の瞬間のエネルギーの収縮度合いは完璧であって、原初の光に必ず出会うほど。それを見のがさないために、自発的に意志をもって死ぬ、意識清明のまま死ぬなどという説明が与えられる。そのチャンスを見逃せば、三途の川到着時点でやっと死んだことに気がつくというようなことになろう。
求道には、媒体・シャーマンになるのと、見神見仏(目撃)と神人合一・入我我入の3ルートがあるが、真如・タターガタとは、今ここ、あるがままであって神人合一・入我我入。あるがままとは、天意、天機のままに生きるということ。起こるものが何であろうと私はそれを自分の意志とするということ。彼は、最初に意志があり、次に目撃があり、最後に真如・タターガタの三段階があるとする。
人は種のようになって死ぬのだが、優れた魂が入れる子宮(母だけでなく父の問題もある)が少ない今の地球のような場合、やむなく他の惑星での転生を目指す。それは日本でまともな研究環境が得られない学者がアメリカで活躍するようなもの。
その結果、地球にはますます劣った魂の比率が増え、地球ロゴス全体のバランスが崩れ、本来のルート(全人類が神を知る)からずれすぎると大量死、人類絶滅の危機もあり得る。だが、このような危機あることも予定し、1万2千年前、3千年前から至福千年の準備をしてきたと伝承されているのが各国の神話、古伝承。
三島由紀夫は、自分の出生のシーンを記憶していると主張していた。出生シーンを更に遡ると、中有に至り、過去生へと至り、さらにどんどん遡行すると、人によっては、銀色の輝く円盤で地球に降り立ったシーンを目にする者もいる。
『死ぬこと生きること/OSHOバグワン/市民出版社』の最終章の質疑では、彼の死の見方が凝縮されている。大悟を至上と考えているのであれば、死に際して微細身が頭頂のサハスラーラから出ることを最優先に考えるべきだが、死の直前の生命エネルギーの集中は、その人が生涯で最も使ったチャクラ(センター)に集中され、そのチャクラから微細身が出るとしている。要するにあまり頭頂から微細身(メンタル体)を出さねばならないことにはこだわっていない風なのだ。だが、彼自身は、そんなことは百も承知ではある(この本にはそれは書いていない)。
彼の説明では、人間は呼吸も脈拍も心臓も意志で制御できる。そのような自発的意志をもって、生命エネルギーを内側から収縮させ、ある一点に集中させると肉体は死んだように見える。種のようになる。その時身体から出ることを思うと微細身が体外に出る。
死の瞬間のエネルギーの収縮度合いは完璧であって、原初の光に必ず出会うほど。それを見のがさないために、自発的に意志をもって死ぬ、意識清明のまま死ぬなどという説明が与えられる。そのチャンスを見逃せば、三途の川到着時点でやっと死んだことに気がつくというようなことになろう。
求道には、媒体・シャーマンになるのと、見神見仏(目撃)と神人合一・入我我入の3ルートがあるが、真如・タターガタとは、今ここ、あるがままであって神人合一・入我我入。あるがままとは、天意、天機のままに生きるということ。起こるものが何であろうと私はそれを自分の意志とするということ。彼は、最初に意志があり、次に目撃があり、最後に真如・タターガタの三段階があるとする。
人は種のようになって死ぬのだが、優れた魂が入れる子宮(母だけでなく父の問題もある)が少ない今の地球のような場合、やむなく他の惑星での転生を目指す。それは日本でまともな研究環境が得られない学者がアメリカで活躍するようなもの。
その結果、地球にはますます劣った魂の比率が増え、地球ロゴス全体のバランスが崩れ、本来のルート(全人類が神を知る)からずれすぎると大量死、人類絶滅の危機もあり得る。だが、このような危機あることも予定し、1万2千年前、3千年前から至福千年の準備をしてきたと伝承されているのが各国の神話、古伝承。