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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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アティーシャ

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◎60代になってチベット入り

アティーシャ知恵の書」で有名なアティーシャは、982年東ベンガルのサホールの国王カルヤーナシュリーの第二王子として生まれた。既に少年時代から無常を感じていた彼はマガダ国を遍歴。その首都ラージギル(王舎城)の黒山でラーフラグプタからヘーヴァジュラ曼荼羅の灌頂を受けた。さらに密教の巨匠アヴァドゥーティーパの下で7年間修行、在家密教の師の下で最高のシッディ(悉地)に達した。

在家のまま修行していたある日の夢に釈迦が現れ『あなたはどんな執着があって出家しないのか』と問われて感じるところがあり、29歳にしてブッダガヤにて出家した。以後の2年で小乗を学び、大小乗顕密の様々な仏教を会得した三蔵法師となった。

さてチベットのイェシェーウー王は、もともと敵国に捕らわれた父王の身代金として黄金を用意したが、父王の背丈分必要な砂金が首から上の分が不足していた。だが当の父王から身代金を払って帰国しても老い先は短いので、その黄金で有徳の仏教の師を招聘しなさいという意向が伝えられた。

アティーシャがもう60歳になろうという頃、そのチベット行きの招きを受け、1042年カトマンズ経由で西チベットに入った。そこで、菩提道灯論を著し、1044年にはインドへの帰途についたが、西チベットとの交易路だったラホール谷の中心地キーロン(3,000m)より先の道が紛争で封鎖されていたので、中央チベットに向かった。
以後中央チベットで布教。1054年ラサ郊外のニェタンで客死した。
(参照:図説チベット密教/田中公明/春秋社)

OSHOバグワンは、自分の前世は、チベットでミイラになっている僧であると言っているせいか、チベットに題材を取った講話が多く、かつ内容的にも突っ込んだものが多い。だがOSHOバグワンは、アティーシャほど真面目一辺倒に見えないので、ダンテス・ダイジの言うように彼の前世は、荘子というのが適当な見立てではないかと思う。

OSHOバグワンは、そのテーマや質問に関する大筋の説明より、脱線した方の片言節句のほうに、彼の熟練のクンダリーニ・ヨーギとしての体験と見解が散りばめられているので、つまらない人にはつまらないし、わかる人にはわかるという側面はある。オレゴンで96台のロールスロイスを並べ、金満で武器も集めていたカルトのボスなどと見ると見誤るように思う。

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