◎ソーマ・ヨーガ
封衡は、曹操の時代の人。
封衡は字を君逹といい、隴西の人である。幼少の時から仙道を学んで終にその秘奥を悟る事が出来た。
彼は初め五十年ばかりの間は専ら黄連を服していたが、その後鳥獣山に上って薬を採り、引き続いて百余年の間禾(こくもつ)を服していた。かくて郷里へ帰って来た時は年齢已に二百歳以上になっていたけれど、容貌を見ると、光澤両頬に漲っていてちょうど二十前後の人のようであった。
そして誰か病気に苦しんでいるものがあると、知った識らぬに関わらず、その家ヘ出かけて行って、腰の竹管から薬を出して病人に与え、あるいは針を以て立ちどころにその病を癒していたので、多くの人々から神のように尊ばれていた。その後また彼は魯生女に逢って彼に還丹の秘訣と五岳真形図とを授け、それからあまねく天下を周遊して名山を訪ね、邪神妖鬼を征服して人民の害になるのを除いていた。それて彼が到るところの山の神や水の神は皆大いに喜んで彼を路に出迎え、凶鬼怪物は彼の名を聞いて皆深く逃げ隠れるという有様であった。
中国では、服餌とも外丹と呼ばれるソーマ・ヨーガ。ソーマ・ヨーガを中心としながらも、民衆の病気治しも断らなかった。三国時代の後に中国は人口が急減しており、戦乱のためともパンデミックのためとも言われるのだが、封衡のような人物が出現する必要があったのだろう。今も人口急減前夜の時代。
彼は、チベットのパドマサンバヴァばりに土地の悪神の帰服も促している。
封衡は、曹操の時代の人。
封衡は字を君逹といい、隴西の人である。幼少の時から仙道を学んで終にその秘奥を悟る事が出来た。
彼は初め五十年ばかりの間は専ら黄連を服していたが、その後鳥獣山に上って薬を採り、引き続いて百余年の間禾(こくもつ)を服していた。かくて郷里へ帰って来た時は年齢已に二百歳以上になっていたけれど、容貌を見ると、光澤両頬に漲っていてちょうど二十前後の人のようであった。
そして誰か病気に苦しんでいるものがあると、知った識らぬに関わらず、その家ヘ出かけて行って、腰の竹管から薬を出して病人に与え、あるいは針を以て立ちどころにその病を癒していたので、多くの人々から神のように尊ばれていた。その後また彼は魯生女に逢って彼に還丹の秘訣と五岳真形図とを授け、それからあまねく天下を周遊して名山を訪ね、邪神妖鬼を征服して人民の害になるのを除いていた。それて彼が到るところの山の神や水の神は皆大いに喜んで彼を路に出迎え、凶鬼怪物は彼の名を聞いて皆深く逃げ隠れるという有様であった。
中国では、服餌とも外丹と呼ばれるソーマ・ヨーガ。ソーマ・ヨーガを中心としながらも、民衆の病気治しも断らなかった。三国時代の後に中国は人口が急減しており、戦乱のためともパンデミックのためとも言われるのだが、封衡のような人物が出現する必要があったのだろう。今も人口急減前夜の時代。
彼は、チベットのパドマサンバヴァばりに土地の悪神の帰服も促している。