Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

すべてを棄てる道とすべてを受け入れる道

$
0
0
◎棄てるヨーガと受け入れるタントラ

世の中には、すべてを棄てる道とすべてを受け入れる道がある。だが一宗教の中にそれを混在させている宗教がある。

あるキリスト者、「世界を創造したのは神だ。」
OSHOバグワン、「罪を創造したのは誰か?」
あるキリスト者、「悪魔だ。」
OSHOバグワン、「悪魔を創造したのは誰か?」
困ったキリスト者は声を絞り出して、「もちろん神が悪魔を創造した。」
OSHOバグワン、「それでは、本当に悪い奴は誰か?」

タントラでは、すべてを神聖なものと見る。タントラでは、神も悪魔もセックスも神聖であると見る。タントリズムは密教系の冥想法の一分類と考えられるのだが、卑近なものとして性愛冥想を引き合いにOSHOバグワンは、「タントラは、耽溺によって窮極に至る。ただし、その耽溺では覚醒が必要だ。」と唱える。

チベット死者の書の死を通過するプロセスでは、肉体の五感が機能しなくなっても最後まで意識清明で醒めていることが求められている。

OSHOバグワンは、「ヨガとは覚醒を伴った抑圧であり、タントラとは覚醒を伴った耽溺である」(ヴィギャンバイラブタントラ 1巻 瞑想 OSHOP57から引用)と説明する。

タントラは内へ動くエネルギーであり、女性的母性的な傾向の人が用いる。だからカーリー女神などの女性の高級神霊が登場する。

ラーマクリシュナは、女性とのセックスには興味がなかったが、カーリー女神に耽溺した。

現代人の大多数は、セックス耽溺を求めているが、求道としてやる場合は、相当な覚悟が求められる。まずとても成功するとは思えないからではないか。釈迦ですらもその道は、忌避したらしい。

『耽溺せよ。だが覚醒をもって。』
すべてを受け入れるというのは、そういうことなのだろう。

また、OSHOバグワンは、この説の前提として、現代人の大半は狂っていて、釈迦、イエスのような人だけが正常。だが釈迦、イエスは、少数派ゆえに大多数の人からは狂人と見られることを挙げている。

そのような少数者を目指す人々のために、すべてを受け入れ、『耽溺せよ。だが覚醒をもって。』と唱えている。

決して、youtube,TikTokなどでガンガンあるいは合間にこっそりセックス動画を見て楽しむ人たち向けに、「すべてを受け入れ、『耽溺せよ。だが覚醒をもって。』」と言っているわけではないのだ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>