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釈迦といういたづら君-3

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◎掘ってもいない井戸に、溜まっていない水が波立って、影も形も無い者が汲んでいる。

自分の来し方行く末、自分は何のために生きているのか、自分は何をするために生まれて来たのか。
青年期以前は、このようなことをよく考えるものだ。

だが、主な関心事は、そんな現実の不条理、死生ではなく、むしろ次のような表面的なことが大半だ。受験、就活、部活、恋愛。長じては、仕事、金儲け、結婚、子育て、離婚、老後。こうした人生におけるメイン・ストリームを見て、心理学者ユングは、人は人生の午後三時になって、不条理、死生を考え始めると感得している。

ところが最近は、若者も中年も老人も貧困化と独身化が進み、このままならぬ現実に頻繁に不条理、無力感を感じることが多くなっている。人生の午後三時を待たずに無慈悲を実感する毎日なのだろう。

一休水鏡では、自分とは何かと観ずれば、まず死生を第一のテーマに持って来ているのは、応仁の乱前の一般人にとっても死生が最大の関心事であるという見方は堅かったのだろう。戦乱の時代ではない現代においてもそこは変わらないのだが。

一休水鏡から。

「人は死ぬと空空としてあるのだろうか。また茫々としてないのだろうか」という言葉を導入に置いて、死をテーマにした七首が続く。

ありのみもなしも―つの木の実にて
食ふに二つの味はひはなし
※ありのみ:梨の異名。生死も一つ、あじわいもひとつ

己れさへ熱気払はぬ不動め
悪魔降伏無用なりけり
※自分の火の粉さえ払えぬ不動明王が悪魔降伏はできますまい。

無き跡の形見に石がなるならば
五りむの代で茶臼きれかし
※石が墓になるならば、五厘の金で茶臼を切り出した方がましだ。

朝露は消え残りても有りぬべし
誰か此世に残り果つべき
※朝露は消え残るということもあるが、永遠に生き残る人はいない。

掘らぬ井に溜まらぬ水の波立ちて
影も形も無き物ぞ汲む
※掘ってもいない井戸に、溜まっていない水が波立って、影も形も無い者が汲んでいる。

目には見て手には取られぬ月の中(うち)の
桂の如き君にぞありけり
※月面に生える桂の木は、目には見えるが触れない。そんな本当の自分であったことだ。

万法を見る人毎(ごと)の喉(のど)乾き
思はで水を一口に飲む
※万法を見る人とは、見性見仏する人で、最初はドキドキして喉がかわいて水を飲む。

一休は更に仏道、釈迦への取り組み方を洗い直す。

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