Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

宗教がタブーな日本から

$
0
0
◎善悪の基準が混乱し、むしろ悪に傾く日本

宗教産業は盛んだが、宗教そのものを外で語ることはタブーとされる日本。アメリカのTVドラマを見ると日曜日に教会に行くかなどという会話が何気なく入る。一方日本では、ソウシャルな場面では、政治と宗教の話はしないのがマナー。おまけにブログやSNSでもわかるが、神仏に係わる本当のところをわきまえた人はほとんどいない。宗教産業の従事者や管理者であっても、本当のところをわきまえた人はほとんどいないのが実情。

こんな塩梅で、本当に万人が神仏を知っている千年王国、みろくの世はどこに来るのかと訝しく思う。これは、日本人全体の通念が拝金主義、物質主義、利己主義に傾き過ぎた結果であり、OSHOバグワン、クリシュナムルティはこれを嫌って、一度も来日しなかった。

利己の反対は、滅私の自己犠牲だが、戦中の国民の滅私奉公を反面教師として自己犠牲そのものが忌避される社会となっている(靖国神社、護国神社などへの扱いもその一例)。自己犠牲はキリスト教でも立派な徳目の一つであり、道教の善書の善を勧め悪を忌む功過格でも自己犠牲、自分が外面的に損をするのは善行を行う基本である。この点は、いびつな社会通念となって久しい。仏教でも然り。

何が善で何が悪かの基本は、洋の東西を問わず、古今を問わず、自分をなくする方向が善で、自分を強化拡大する方向が悪。

善悪の基準が混乱し、むしろ悪に傾いていると見られる日本だから、世界に先駆けて立替立直しが為されるなどというネガティブ予言が栄える。

そうは言っても人が宗教に最初に向かう発心は、大方天国的なもの安楽、平和なもの、穏やかなものなど、愛の顕れではあるが、厳しく見れば功利的なものへの希求から始まる。それでも神仏に至ることができるのも不思議なところ。

日本人は、こうしたものを自分に都合よく考え過ぎた。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Latest Images

Trending Articles