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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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地上の欲望による堂々巡りのトリックを実感する度合い

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◎自分自身を想い出し始める-発心

『夢想することもできないだろうが、
君自身は、
すべてと、すべてのすべてとを知り尽くしている。
けれども、
それも又、どうということはない。

人は、完璧に、
地上にいて、地上にいないのがいい。
地上の欲望による堂々巡りのトリックを
実感する度合いに応じて、
君は、
君自身を想い出し始める。』
(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジ/森北出版P97-98から引用)

「すべてと、すべてのすべてとを知り尽くしていることも夢想すらできない」とは、禅僧道元の唱える修行も悟りも同じであるということ。すべては修行、すべてのすべてが悟り。夢想でもできていれば、こんな社会になってはいまい。

「すべてと、すべてのすべてとを知り尽くしていることも、どうってことはない」と語れるのは大悟覚醒を経た者のみであって、未悟者がそれを語っては妄言になる。覚者たちは、このことを平常心是道とか、日々是好日などと、てらいも気取りもなく語る。

地上にいるのは、肉体からコーザル体の個なる自分。地上にいないのは、アートマン第六身体の全なる自分や、ニルヴァーナ第七身体のなにもかもない自分。

自己実現、願望成就、金儲け、恋愛成就、結婚、離婚、健康など、この世にはいろいろな願望があるが、それが、実現しても成就しても次から次へと別の欲望が起こり、虚しいと感じることがある。これが、堂々巡りのトリックに気づくということ。

そこで自分自身を想い出し始めるのだが、だんだんと想い出し始めるというは、一気でないからやさしい。

自分自身を想い出し始めるのは、実は世界平和の道でもあるのだが、それを夢想する人すらまれである。

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