◎仏神は貴し仏神をたのまず
宮本武蔵は一剣に依る求道者。以下が晩年の独行道。
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯(えこ)の心なし
一、身をあさく思ひ、世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん(欲心)思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼ(恋慕)の道思いよる心なし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物忌みする事なし
一、兵具は格別 よ(余)の道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨てても名利は捨てず
一、常に兵法の道をはなれず
正保弐年五月十二日 新免武蔵 玄信(花押)
全体として、好き嫌い、好悪をほぼ越えた位置にいるのはいい感じ。だが生死を越えるためには、最後は、名誉や世間的な評価は捨てなければならない。
槿花一朝の夢でも、樹下のうたた寝の間に、位人臣を極めたが、最後は讒言にて一族迫害される運命であった夢を見たのだが、そこで名誉や出世は見極めた。だから、『一、身を捨てても名利は捨てず』とあるが、身も捨て名利も捨てないと先へは行かない。
兵法の道は一道専心だが、仏神を恃むクンダリーニ・ヨーガではない。だから『一、仏神は貴し仏神をたのまず』に意外感はない。よって、今後も兵法の道で進むのはよい。
全体として、戒律集のような感じだが、次の転生では、ここからスタートするのだろうが、その生涯で繰り返した殺戮では無心であり得たのだろうか。
同時代に沢庵や至道無難がいるが、私の見るところ沢庵は今一つ、至道無難は届いている。そういう人物のいる時代には、たとえ戦乱の時代であったとしても、武蔵にとって自分の立ち位置は、わかりやすかったのではないか。
宮本武蔵は一剣に依る求道者。以下が晩年の独行道。
一、世々の道をそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろずに依枯(えこ)の心なし
一、身をあさく思ひ、世をふかく思ふ
一、一生の間よくしん(欲心)思わず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いずれの道にもわかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、れんぼ(恋慕)の道思いよる心なし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具を所持せず
一、わが身にいたり物忌みする事なし
一、兵具は格別 よ(余)の道具たしなまず
一、道においては死をいとわず思う
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し仏神をたのまず
一、身を捨てても名利は捨てず
一、常に兵法の道をはなれず
正保弐年五月十二日 新免武蔵 玄信(花押)
全体として、好き嫌い、好悪をほぼ越えた位置にいるのはいい感じ。だが生死を越えるためには、最後は、名誉や世間的な評価は捨てなければならない。
槿花一朝の夢でも、樹下のうたた寝の間に、位人臣を極めたが、最後は讒言にて一族迫害される運命であった夢を見たのだが、そこで名誉や出世は見極めた。だから、『一、身を捨てても名利は捨てず』とあるが、身も捨て名利も捨てないと先へは行かない。
兵法の道は一道専心だが、仏神を恃むクンダリーニ・ヨーガではない。だから『一、仏神は貴し仏神をたのまず』に意外感はない。よって、今後も兵法の道で進むのはよい。
全体として、戒律集のような感じだが、次の転生では、ここからスタートするのだろうが、その生涯で繰り返した殺戮では無心であり得たのだろうか。
同時代に沢庵や至道無難がいるが、私の見るところ沢庵は今一つ、至道無難は届いている。そういう人物のいる時代には、たとえ戦乱の時代であったとしても、武蔵にとって自分の立ち位置は、わかりやすかったのではないか。