◎ヨギとスワミ
あまり意識したことはなかったが、ヨギというのは教団に属さない一人修行者であって、スワミとは教団に属し師を固定し厳格な戒律を守る修行者であるらしい。ユクテスワは、ヨギにしてスワミ。
日本でもハタ・ヨーガが盛んになって結構なことである。ハタ・ヨーガではポーズや呼吸法を用いるが、心理学者のC.G.ユングは、「プラーナの呼吸が宇宙エネルギーの呼吸であって、遍在の霊に結びつくという基本的な概念なしに行ってもあまり効果はない」と断じている。
(参照:あるヨギの自叙伝/パラマンサ・ヨガナンダP235)
※遍在の霊(アートマンのことか)
いろいろなアーサナをやって呼吸法をやれば身体的には快調になるのだが、それだけの話ではないということ。ハタ・ヨーガをたしなむ者は最終的に神人合一を求める概念的理解があってやるのでなければ効果は少ないとしているのだ。
そんな理論の一つとしてパラマンサ・ヨガナンダは、パタンジャリのヨーガ・スートラを挙げている。これは、逐条で読めば説明が少なすぎて難解だが、これがわからなければ、神人合一を求める概念的理解もないということはわかる。また逐条でその質問者に合った説明をできる人は、覚者か覚者に近いのだろう。
世間にヨガ教室は多いが、雑技団的身体の柔軟さを求める人でなければ、今生をかけてハタ・ヨーガで悟りに堪え得る身体を形成し、次の転生でクンダリーニ・ヨーガに挑むという順路を進むつもりなのか、或いは今生でクンダリーニ・ヨーガによる神人合一をも成し遂げるつもりなのか、自らに問う必要があるのではないか。
世は、貧困化を背景として身勝手犯罪が横行しているが、生活が不安定な中でも、まともな求道者が、頑張って来たから今がある。唐代で仏教が弾圧された時代に、その悟りを伝えてきた人物がいたからこそ、中国では禅仏教が滅亡したが、日本では開花したということがある。
日本のヨーガ・ブームもそうした芽になってくれればよいが。
あまり意識したことはなかったが、ヨギというのは教団に属さない一人修行者であって、スワミとは教団に属し師を固定し厳格な戒律を守る修行者であるらしい。ユクテスワは、ヨギにしてスワミ。
日本でもハタ・ヨーガが盛んになって結構なことである。ハタ・ヨーガではポーズや呼吸法を用いるが、心理学者のC.G.ユングは、「プラーナの呼吸が宇宙エネルギーの呼吸であって、遍在の霊に結びつくという基本的な概念なしに行ってもあまり効果はない」と断じている。
(参照:あるヨギの自叙伝/パラマンサ・ヨガナンダP235)
※遍在の霊(アートマンのことか)
いろいろなアーサナをやって呼吸法をやれば身体的には快調になるのだが、それだけの話ではないということ。ハタ・ヨーガをたしなむ者は最終的に神人合一を求める概念的理解があってやるのでなければ効果は少ないとしているのだ。
そんな理論の一つとしてパラマンサ・ヨガナンダは、パタンジャリのヨーガ・スートラを挙げている。これは、逐条で読めば説明が少なすぎて難解だが、これがわからなければ、神人合一を求める概念的理解もないということはわかる。また逐条でその質問者に合った説明をできる人は、覚者か覚者に近いのだろう。
世間にヨガ教室は多いが、雑技団的身体の柔軟さを求める人でなければ、今生をかけてハタ・ヨーガで悟りに堪え得る身体を形成し、次の転生でクンダリーニ・ヨーガに挑むという順路を進むつもりなのか、或いは今生でクンダリーニ・ヨーガによる神人合一をも成し遂げるつもりなのか、自らに問う必要があるのではないか。
世は、貧困化を背景として身勝手犯罪が横行しているが、生活が不安定な中でも、まともな求道者が、頑張って来たから今がある。唐代で仏教が弾圧された時代に、その悟りを伝えてきた人物がいたからこそ、中国では禅仏教が滅亡したが、日本では開花したということがある。
日本のヨーガ・ブームもそうした芽になってくれればよいが。