◎神性自体に窓が三つということではない
真善美をググると、言い出したのはカントだなどという説も出て面食らう。もともとは、洋の東西を問わない完全人の属性というべきものである。
OSHOバグワンの説明では、
1.真善美とは、人間による神の体験。
2.知が優勢の人なら、神性は真理の形をとる。
3.感性優先の人なら、神性は美の形をとる。
4.行動優先の人なら、神性は善の形をとる。
さらに
5.大多数の人間は行動優先である。
6.神性自体に枠はなく、神性の窓が真善美の3つに限られているわけではなく、他の相もある。だから真善美を通して神を見る人は、ある意味で神性に自分独自の定義を押し付けている。真善美+他の相は、神を指し示す指のようなものであって、神そのものではない。それは言葉では定義できない。
(以上参照:秘教の心理学/和尚/学研P230-236)
七つの身体論では、七つの特徴が示されるが、真善美にはこだわらない。
パワー、安心、至福、愛、美、智慧、ニルヴァーナ。
またスティグマタが身体に出る人は、イエスの生涯を観想し、イエスに成り切るという道から入るようなので、窓枠は狭いが確かに神性には至る。
わびさびも神性のうち。
道は多いが、通る人は少ない。
真善美をググると、言い出したのはカントだなどという説も出て面食らう。もともとは、洋の東西を問わない完全人の属性というべきものである。
OSHOバグワンの説明では、
1.真善美とは、人間による神の体験。
2.知が優勢の人なら、神性は真理の形をとる。
3.感性優先の人なら、神性は美の形をとる。
4.行動優先の人なら、神性は善の形をとる。
さらに
5.大多数の人間は行動優先である。
6.神性自体に枠はなく、神性の窓が真善美の3つに限られているわけではなく、他の相もある。だから真善美を通して神を見る人は、ある意味で神性に自分独自の定義を押し付けている。真善美+他の相は、神を指し示す指のようなものであって、神そのものではない。それは言葉では定義できない。
(以上参照:秘教の心理学/和尚/学研P230-236)
七つの身体論では、七つの特徴が示されるが、真善美にはこだわらない。
パワー、安心、至福、愛、美、智慧、ニルヴァーナ。
またスティグマタが身体に出る人は、イエスの生涯を観想し、イエスに成り切るという道から入るようなので、窓枠は狭いが確かに神性には至る。
わびさびも神性のうち。
道は多いが、通る人は少ない。