◎肉体を離れようとする最後の瞬間に考えることは、すべてがいつかは実現する
ウパニシャッドを読むと、ブラフマンとアートマンの定義は揺れている。
だが、バガヴァッド・ギータでは、大聖クリシュナの定義は単純明快。
※ブラーマンはブラフマンのこと。
『スリー・クリシュナー
ブラーマンは不滅であり、万物を超越している。ブラーマンが個人に宿ると考えるとき、これをアートマンと呼ぶ。ブラーマンの創造力は万物の発生の源泉である。
相対界の性質は変化してやまない。個性は自我の意識である。私だけがこの肉体の内にあって行動をつかさどる神である。
人が死んで肉体を離れる時、私に意識をおいていなければならない。そうすれば私に合一する。
これを疑ってはいけない。肉体を離れようとする最後の瞬間に考えることは、すべてがいつかは実現する。このことは一生を通じて最も長く人の心にあったものであるから。
だからいつも私を念じて汝のなすべきことをおこなえ。汝の心と知性がいつも私の上にあれば、汝は疑いなく私のもとにくる。
いつも瞑想することを心掛けて心を統一せよ。そうすれば汝は神、光を与える者、最高なるも のに達する。』
(バガヴァッド・ギータ/熊澤教眞訳/ヴェーダーンタ文庫P102から引用)
これは、ブラフマンの顕現であるクリシュナと合一すべき観想法の勧め。それをクリシュナという人格神への信仰に限定されると考えると多分誤解するが、それでも神に至る。
バガヴァッド・ギータの前半を読むと、アートマンの説明もブラフマンの説明も似たような感じだが、「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」P100-101のアートマンが上昇し、「ブラフマンとアートマンの合一」のイラストを見て、そのようなものかと理解できるのではないか。
今さらながらそれを知的に了解することには何の意味もないが、いつも冥想して心を統一し、神に至ることが肝心である。
神に至る道は、大別すると三種。神に憑依してもらう、神を見る、神人合一。
ウパニシャッドを読むと、ブラフマンとアートマンの定義は揺れている。
だが、バガヴァッド・ギータでは、大聖クリシュナの定義は単純明快。
※ブラーマンはブラフマンのこと。
『スリー・クリシュナー
ブラーマンは不滅であり、万物を超越している。ブラーマンが個人に宿ると考えるとき、これをアートマンと呼ぶ。ブラーマンの創造力は万物の発生の源泉である。
相対界の性質は変化してやまない。個性は自我の意識である。私だけがこの肉体の内にあって行動をつかさどる神である。
人が死んで肉体を離れる時、私に意識をおいていなければならない。そうすれば私に合一する。
これを疑ってはいけない。肉体を離れようとする最後の瞬間に考えることは、すべてがいつかは実現する。このことは一生を通じて最も長く人の心にあったものであるから。
だからいつも私を念じて汝のなすべきことをおこなえ。汝の心と知性がいつも私の上にあれば、汝は疑いなく私のもとにくる。
いつも瞑想することを心掛けて心を統一せよ。そうすれば汝は神、光を与える者、最高なるも のに達する。』
(バガヴァッド・ギータ/熊澤教眞訳/ヴェーダーンタ文庫P102から引用)
これは、ブラフマンの顕現であるクリシュナと合一すべき観想法の勧め。それをクリシュナという人格神への信仰に限定されると考えると多分誤解するが、それでも神に至る。
バガヴァッド・ギータの前半を読むと、アートマンの説明もブラフマンの説明も似たような感じだが、「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」P100-101のアートマンが上昇し、「ブラフマンとアートマンの合一」のイラストを見て、そのようなものかと理解できるのではないか。
今さらながらそれを知的に了解することには何の意味もないが、いつも冥想して心を統一し、神に至ることが肝心である。
神に至る道は、大別すると三種。神に憑依してもらう、神を見る、神人合一。