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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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小学生の出口王仁三郎ひどいイジメに遭う-2

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◎真実に対して徹底した性格-2

ある暖かい春の日に、吉田先生は全級の生徒を校庭に集めて、体操を教えておった。王仁三郎(喜三郎)もその中に加わって稽古を受けた。たまたま隣村の雪駄直しが、学校の前を「直し直し」と呼びつつ通過した。

吉田教員はたちまちこれを指さして、生徒に向かって、「お前らよく見よ。今、学者生徒の喜三郎さまのお父上がお通りだ」と大声あげて、王仁三郎が父の家は貧窮下賤であると諷刺した。無心無邪気な生徒は吉田と共に手をうって笑った。王仁三郎は悔しさ残念さを堪えて黙していた。

吉田先生はなお虫が治まらぬと見え、学校のトイレを指さして、「あああそこに見よ、喜三郎さまの立派なお家が建ってある」と、我が家の倭小にして不潔である事を諷刺し、又手をうって笑う。生徒もまた一緒になって機械的に笑った。

それからというものは生徒も吉田先生のまねをし、面白半分に、乞食や非人なぞに途中で逢う時はたちまちこれを指さして、「喜三郎さまのお父さんが通る。お母さんがどこかへお出でになる」と、大きな生徒までが面白がって侮辱し、倒れかけたトイレがあると、「喜三郎さまの立派なお宅だ」と嘲り笑うのであった。
 
王仁三郎は子供ながらも憤怒の極に達し、発言者たる吉田先生の下校を途中に待ち受け、青杉垣の中から吉田先生目がけて、竹の先に糞をつけたまま腰の辺を突き差し、そのまま自分の宅へ逃げ帰った。吉田先生は非常に立腹して王仁三郎に退校を命じた。王仁三郎も承知が出来ず、直ちに出口校長に向かって始終の次第を申告した。校長は直ちに学務委員の斎藤弥兵衛氏と協議の上、吉田有年を免職し、王仁三郎には一旦退校を命じてその場を無事に済ませ、数日の後王仁三郎を吉田の代用教師として採用した。

ところが出口王仁三郎自身の事件への教訓は、次のように淡々としたものだ。
1.こんな無情な人々と交わり、世情の冷酷なる惨状と仁愛なる人の温情とを表裏より味わう事が出来たのも、全く今日に成って考えて見れば、神様の御仁慈をもって王仁三郎の心魂を幼時より鍛煉させ給うたのであると、つくづく感謝する。
2.また吉田先生の王仁に対する虐待的行為も、王仁の為には大恩師で在った事を感謝せずには居られない。
(出典:故郷乃弐拾八年、「神霊界」大正十年二月号)

小学生が担任の先生にここまでやりこめられて、反撃できるのは、まずもって相当な負けず嫌いであること。

さらに生家の貧窮を周囲にもそしられても、彼のできる最大の反撃をしたものの、それは小学生の彼なりの正当な手段であったこと。

ここまでのいじめは、最近でもいじめの低年齢化で頻発しているのかもしれないが、本人がつぶれなかったのは、校長らの公平な対応があったから。

さて人間には、世事に対して早熟なタイプと晩成なタイプがある。明治人は概して早熟なのだが、小学校高学年にして既に社会に出て遭遇すべき世知がらさ、ままならぬ様を味わったことは、尋常ではない早さと思う。

こうした準備があって彼は、28歳での『われは空行く鳥なれや』の大悟に進んで行く。

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