◎想念停止、空、善行、えり好みをしない
修行僧カッサパは、「釈迦が修行者として実行するための教えを説いてくれなかった」と釈迦にぼやきながら、「それは一人で暮らし瞑想し、心を静めることだ」と自分で回答し、これを釈迦に誉められた。
『第二節 カッサパ(その二)
一 〔あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の 園に住しておられた。
そのとき、カッサパという〈神の子〉は、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を 遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。
二 傍らに立ったカッサパなる〈神の子〉は、尊師のもとで次の詩をとなえた。
「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、
心の思いの起こらぬことを望み、
世の興亡盛衰をさとって、
善い心で、こだわることがないならば、
すぐれた境地が得られる。」』
(ブッダ 神々との対話/中村元訳/岩波文庫P108から引用)
※尊師:釈迦
この園は、祇園精舎のこと。
これは、釈迦がどう反応したかが書いていないが、この見解が正しいことを認めたのだろう。
心が解脱とは心理のようだが、心の思いが起こらぬということで心理を超える。
世の興亡盛衰を悟るとは、空を悟ること。
善い心とは、善いことをして、悪いことをしないということ。
こだわることがないとは、えり好みをしないということ。
述べていることは四点だけだが、後代の仏教マスター達が眼目に置いたことを述べている。
修行僧カッサパは、「釈迦が修行者として実行するための教えを説いてくれなかった」と釈迦にぼやきながら、「それは一人で暮らし瞑想し、心を静めることだ」と自分で回答し、これを釈迦に誉められた。
『第二節 カッサパ(その二)
一 〔あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の 園に住しておられた。
そのとき、カッサパという〈神の子〉は、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を 遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。
二 傍らに立ったカッサパなる〈神の子〉は、尊師のもとで次の詩をとなえた。
「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、
心の思いの起こらぬことを望み、
世の興亡盛衰をさとって、
善い心で、こだわることがないならば、
すぐれた境地が得られる。」』
(ブッダ 神々との対話/中村元訳/岩波文庫P108から引用)
※尊師:釈迦
この園は、祇園精舎のこと。
これは、釈迦がどう反応したかが書いていないが、この見解が正しいことを認めたのだろう。
心が解脱とは心理のようだが、心の思いが起こらぬということで心理を超える。
世の興亡盛衰を悟るとは、空を悟ること。
善い心とは、善いことをして、悪いことをしないということ。
こだわることがないとは、えり好みをしないということ。
述べていることは四点だけだが、後代の仏教マスター達が眼目に置いたことを述べている。