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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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ボン教のバルドの祈り

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◎世間全体が中有的である過去何千年

チベット土着のボン教のバルドの祈りから。これは死のプロセスに際して清明な意識で見守り感じ取ることで、原初の光たる仏を見ることを狙う。

『意識がみなし児のようによりどころもなく残され
別の次元に棲む恐怖の死神が現出し
惑わんばかりの音、光、輝きが満ちあふれるとき
これらを自らの内から生じた自性のエネルギーだと悟り
このバルドの状態のさなかで解脱することができますよう
師よ、あなたの慈悲によって加持をお授けください
このバルドの幻影を断ち切ることができますように加持をお授けください
母なる「空性」とその息子の「明知」とが再び結ばれますよう、加持をお授けください』
(チベッタン・ヒーリング/テンジン・ワンギェル・リンポチェ/地湧社P16-17から引用)

ボン教勢力は、チベット密教開祖パドマサンヴァバによって駆逐されたはずだが、エッセンスは、チベット密教と同様のようだ。
つまり「母なる「空性」とその息子の「明知」との合体」が核心であることがわかる。

それについて訳注がついている。
『〈訳注〉
*母なる「空性」とその息子「明知」
空性は自然の光明と不分離にして、すべての顕現の源であるゆえ、ここでは母と呼ばれる。修行により、光明を知る者は、死に際して覚醒の意識のなかですぐさま自然の光明をとらえ、まるで母に出合った息子が即座に母を認識し駆けよっていくように、母なる空性と一体となる。これを「母の光明と息子の光明が出合う」という。この一文はこのことを指している。』
(上掲書P17-18から引用)
※バルド:中有。
※自然の光明:原初の光。
※加持:サポート。

チベット密教では、観想法を中心とした修行で、空性の自覚をまず求められる。ここではダイレクトに、空性を明知なるクリアな意識と合体するという表現だが、最終的に「見る自分」がなくなることを暗喩する表現になっている。

現代は、社会全体が悟りを至高としない中有の時代とも呼ばれる。そういう意味で、実は過去何千年、中有は日常的でとても身近だが、ほとんどの人がそのような自覚はなく生きている。

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