◎殉教と大悟
エリザベス女王の葬儀を取り仕切ったのは、カンタベリー大司教。イギリスがカトリックから離脱して英国国教会になる以前、カンタベリー大司教がカンタベリー大聖堂内陣で、四人の騎士に頭蓋を割られて暗殺された事件があった。その大司教がトマス・ベケット。
1118年、彼はロンドンのノルマン人の富裕な商家の息子として生まれた。やがてカンタベリーで聖職修行を行い、1154年には助祭長となった。一方で時の国王ヘンリー二世に気に入られ、大法官という世俗職にスカウトされ、やがてカンタベリー大司教に就任。
ベケットは、カンタベリー大司教になって、国王の要求を事々にはねつけたことで、命を狙われる危険を感じたことから、1164年フランスに逃亡した。フランスでは、教皇アレクサアンデルの意向により、北中部のポンティニ村のシトー会修道院に入った。
7年後に国王に呼び戻されカンタベリーに戻ったが、国王派の二人の司教を破門したことで、四人の騎士の刺客を送り込まれ、1170年12月29日夕刻カンタベリー大聖堂内陣で、彼らに頭蓋を割られて殺害された。
辞世の言葉は、「私の教会と私自身は、イエスと聖母マリアとすべての聖人たちと聖ディオニュシウスとにこれをゆだねます」。
※聖ディオニュシウス:使徒パウロの弟子でアテネ最初の司教となったディオニュシウス・アレオパギタ(使徒行伝17-34にアレオパゴスの裁判人デオヌシオとして登場)。
教会では、このカンタベリー大聖堂での死後数々の奇蹟が連続したことから死後二年にして異例の列聖。
さて問題は、彼が悟っていたのかどうか。文字通りベケットは、我とわが身を神に捧げ、殉教したのだから、これは大悟なのだろう。フランス逃亡は、殉教のタイミングを測るということはある。凡そ冥想修行者にとって、死は何回でもトライできるチャンスではない。一回きりである以上慎重にならざるを得ないと思う。ただこれだけでは、見神なのか神人合一なのかは判別できない。
カトリックは、殉教だけでは列聖しないようだが、奇蹟の実現も条件にしている。これは、当該聖者が大悟しているかどうかを見ているため(大悟すれば超能力の発現あり)と、これまで考えていたのだが、信者にとって彼の死が、「奇蹟を起こし得るほどの決定的なインパクトを与えていたかどうか」を見るものであって、当該聖者側よりも他の信者側をメインに考えているものではないかと思うようになってきた。
トマス・ベケットはカンタベリー大司教になってから、毎日13人の貧しい人の足を洗い食事を与えそれぞれに銀貨4枚を与えて帰らせたという。
エリザベス女王の葬儀を取り仕切ったのは、カンタベリー大司教。イギリスがカトリックから離脱して英国国教会になる以前、カンタベリー大司教がカンタベリー大聖堂内陣で、四人の騎士に頭蓋を割られて暗殺された事件があった。その大司教がトマス・ベケット。
1118年、彼はロンドンのノルマン人の富裕な商家の息子として生まれた。やがてカンタベリーで聖職修行を行い、1154年には助祭長となった。一方で時の国王ヘンリー二世に気に入られ、大法官という世俗職にスカウトされ、やがてカンタベリー大司教に就任。
ベケットは、カンタベリー大司教になって、国王の要求を事々にはねつけたことで、命を狙われる危険を感じたことから、1164年フランスに逃亡した。フランスでは、教皇アレクサアンデルの意向により、北中部のポンティニ村のシトー会修道院に入った。
7年後に国王に呼び戻されカンタベリーに戻ったが、国王派の二人の司教を破門したことで、四人の騎士の刺客を送り込まれ、1170年12月29日夕刻カンタベリー大聖堂内陣で、彼らに頭蓋を割られて殺害された。
辞世の言葉は、「私の教会と私自身は、イエスと聖母マリアとすべての聖人たちと聖ディオニュシウスとにこれをゆだねます」。
※聖ディオニュシウス:使徒パウロの弟子でアテネ最初の司教となったディオニュシウス・アレオパギタ(使徒行伝17-34にアレオパゴスの裁判人デオヌシオとして登場)。
教会では、このカンタベリー大聖堂での死後数々の奇蹟が連続したことから死後二年にして異例の列聖。
さて問題は、彼が悟っていたのかどうか。文字通りベケットは、我とわが身を神に捧げ、殉教したのだから、これは大悟なのだろう。フランス逃亡は、殉教のタイミングを測るということはある。凡そ冥想修行者にとって、死は何回でもトライできるチャンスではない。一回きりである以上慎重にならざるを得ないと思う。ただこれだけでは、見神なのか神人合一なのかは判別できない。
カトリックは、殉教だけでは列聖しないようだが、奇蹟の実現も条件にしている。これは、当該聖者が大悟しているかどうかを見ているため(大悟すれば超能力の発現あり)と、これまで考えていたのだが、信者にとって彼の死が、「奇蹟を起こし得るほどの決定的なインパクトを与えていたかどうか」を見るものであって、当該聖者側よりも他の信者側をメインに考えているものではないかと思うようになってきた。
トマス・ベケットはカンタベリー大司教になってから、毎日13人の貧しい人の足を洗い食事を与えそれぞれに銀貨4枚を与えて帰らせたという。