◎エーテル体−31
3.エーテル体の性質 呼吸−11
○それぞれのボディの呼吸
肉体では、酸素を吸って、二酸化炭素を呼く。エーテル体では、気・プラーナを呼吸する。アストラル体では、感情を呼吸する。メンタル体では想念を呼吸する。
ヴィパッサナーで見つめる息とは、そのどれだろうか。
全部?・・・・それでは、この4種の呼吸は同時に起こるものなのだろうか。
OSHOバグワンの語る、シヴァが、宇宙への帰一の方法を問われた時に語った呼吸テクニック。
『
−1−
光り輝く者よ、この体験は二つの息の間に起こる。
息が入った後、息が出る直前−そこに賜物がある。
−2−
息が下降から上昇に転じるとき、
そして再び息が上昇から下降に転じるとき、
この両方の転回を通じ、覚れ。
−3−
あるいは、入息と出息が融け合うその瞬間、
そのエネルギーなき中心、
エネルギーに満ちた中心に触れよ。
−4−
あるいは、息がすべて出終わり、ひとりでに止まるとき
あるいは、息がすべて入り終わり、止まるとき
そのような全休止において、人の小さな自己は消え去る。
これが難しいのは不純な者のみ。
−5−
眉間に注意を集中し、マインドを思考の前に置く。
息の精気をもって身体を満たす−頭頂まで。
そしてそこから、光として振り注がせる。
−6−
日常的生活の中で、ふたつの息の間に注意を保つ。
それを実行していけば、数日のうちに生まれ変わる。
−7−
額の中央の不可触の息、
それが眠りの瞬間にハートへと達するとき、
眠りを支配し、そして死をも支配せよ。
−8−
最大限の献身とともに、息のふたつのつぎ目に中心を合わせ、
そして知るものを知る。
−9−
死んだように横たわる。
激しく怒り、そのままとどまる。
あるいはまつ毛を動かすことなく凝視する。
あるいは何かを吸い。そして「吸うこと」そのものになる。
』
(内なる宇宙の発見/OSHO/市民出版社から引用)
まず出息と入息の切り替わる一瞬にそれがある。これが基本。しかしその逆転の瞬間を意識せよなどとはまずいわないのが、このテクニックの眼目。
5の息の精気とは気・プラーナのことで、気で身体を満たし頭頂から降り注ぐという観想だとOSHOは説明する。またアジナー・チャクラに集中すると観想が容易になるというこつも披瀝する。白隠の軟酥の観にも一部似ている。
7の不可触の息とは、気・プラーナであるとOSHOはいう。死の6カ月前から、それ以前とは逆に、入息でプラーナを摂取しなくなるので、プラーナは流出し始め、その逆転現象が発生したのを見ることで死期を予測できるとも語る。
彼は、まさに眠りに入ろうとする瞬間をつかまえて、気・プラーナをハートに送り込めという。その時それが起こる。
空気呼吸は肺でする。プラーナの呼吸は臍下丹田(スワジスターナ・チャクラ)でする。この技法では、いわゆる呼吸コントロールとして使っているのは、気・プラーナであるように見えるが、その背後で動いているレベルもあるのだろうと思う。
が、それは意識する必要はなかったり、意識することが邪魔になったりするのだろう。
OSHOの説明にもあるが、結局、息とは深いボディから肉体への架け橋であり、より微細なボディとの連結ユニットみたいなものなのだろうと思う。
呼吸は無意識に行われているのものだが、かくの如く「それ」への、「未知」への巨大な関門としてそびえ立ってもいる。
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ヴィパッサナーで見つめる息とは、そのどれだろうか。
全部?・・・・それでは、この4種の呼吸は同時に起こるものなのだろうか。
OSHOバグワンの語る、シヴァが、宇宙への帰一の方法を問われた時に語った呼吸テクニック。
『
−1−
光り輝く者よ、この体験は二つの息の間に起こる。
息が入った後、息が出る直前−そこに賜物がある。
−2−
息が下降から上昇に転じるとき、
そして再び息が上昇から下降に転じるとき、
この両方の転回を通じ、覚れ。
−3−
あるいは、入息と出息が融け合うその瞬間、
そのエネルギーなき中心、
エネルギーに満ちた中心に触れよ。
−4−
あるいは、息がすべて出終わり、ひとりでに止まるとき
あるいは、息がすべて入り終わり、止まるとき
そのような全休止において、人の小さな自己は消え去る。
これが難しいのは不純な者のみ。
−5−
眉間に注意を集中し、マインドを思考の前に置く。
息の精気をもって身体を満たす−頭頂まで。
そしてそこから、光として振り注がせる。
−6−
日常的生活の中で、ふたつの息の間に注意を保つ。
それを実行していけば、数日のうちに生まれ変わる。
−7−
額の中央の不可触の息、
それが眠りの瞬間にハートへと達するとき、
眠りを支配し、そして死をも支配せよ。
−8−
最大限の献身とともに、息のふたつのつぎ目に中心を合わせ、
そして知るものを知る。
−9−
死んだように横たわる。
激しく怒り、そのままとどまる。
あるいはまつ毛を動かすことなく凝視する。
あるいは何かを吸い。そして「吸うこと」そのものになる。
』
(内なる宇宙の発見/OSHO/市民出版社から引用)
まず出息と入息の切り替わる一瞬にそれがある。これが基本。しかしその逆転の瞬間を意識せよなどとはまずいわないのが、このテクニックの眼目。
5の息の精気とは気・プラーナのことで、気で身体を満たし頭頂から降り注ぐという観想だとOSHOは説明する。またアジナー・チャクラに集中すると観想が容易になるというこつも披瀝する。白隠の軟酥の観にも一部似ている。
7の不可触の息とは、気・プラーナであるとOSHOはいう。死の6カ月前から、それ以前とは逆に、入息でプラーナを摂取しなくなるので、プラーナは流出し始め、その逆転現象が発生したのを見ることで死期を予測できるとも語る。
彼は、まさに眠りに入ろうとする瞬間をつかまえて、気・プラーナをハートに送り込めという。その時それが起こる。
空気呼吸は肺でする。プラーナの呼吸は臍下丹田(スワジスターナ・チャクラ)でする。この技法では、いわゆる呼吸コントロールとして使っているのは、気・プラーナであるように見えるが、その背後で動いているレベルもあるのだろうと思う。
が、それは意識する必要はなかったり、意識することが邪魔になったりするのだろう。
OSHOの説明にもあるが、結局、息とは深いボディから肉体への架け橋であり、より微細なボディとの連結ユニットみたいなものなのだろうと思う。
呼吸は無意識に行われているのものだが、かくの如く「それ」への、「未知」への巨大な関門としてそびえ立ってもいる。
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