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女性のパッション

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◎二十後家は立つても三十後家は立たぬ

20代の頃の一日、青山の軽食喫茶で昼食をとった。周囲には多くの若い男女も食事していたのだが、とりわけ年の頃25〜30くらいの女性の数人グループの妖艶さは印象的で、その成熟したフェロモンにはとりわけ心惹かれるものがあった。自分も20代だったせいもあるが、その頃の私の頭の中の女性と言えば、20代以下であり、30歳以上の女性には女性としての魅力を認めていなかった。

正直に申せば、女性を美化しすぎていて、女性には能動的性欲などというものはないし、ややもすると女性はトイレにも行かないものだぐらいに思っていたのが実際のところだと思う。なぜ美麗な淑女美女がまもなくオバハンに変化するのか、その連続性をずっと不審に思い続けていたのだ。

それから30年以上たって、女性にもしっかり性欲があるものであり、それは彼女たちの年齢によってその現れ方が変化していくものだということがわかるようになった。
西洋絵画のモチーフで一角獣(ユニコーン)が処女にしかなつかないなどというのは、その消息の一コマである。

以下の出口王仁三郎の文章だって20代で読んでいたはずなのだが、その内容について信じようとしていなかったに違いない。

『女性のパッション

いまだ異性の香を知らず、汚されたことのない女を処女という。女の一生を通じて一番におもしろい時代で、理想と希望と空想に富み、なんとはなしに嬉しくて、おもしろくて、おかしい時代である。乳房がふくらんで、顔に艶がでて、全体の皮膚があぶらぎつてなめらかになり、熱烈にかわいがられ、痛烈に憧憬されるようになつてくる。そしてその周囲は誘惑の雲につつまれ、ひかるるままに誘われやすく、四辺の境遇もつとも危険な時期である。

娘の二八、二九のころは、山野の積雪消え、氷はとけ、草木の若芽は緑に萌えいで、春風春水一時にきたるの概がある。筋肉と皮膚は一種美妙な発達をなして、異性の触覚の念をそそりたてる。色と艶と曲線美をいちじるしく帯びてくる。またその異様なる瞳が、異性にたいしてある心を動かさんとする時には、一種別様の輝きと活動とをおこしてくる。

心の宮殿に飼われている愛の雛鳥は、この眼の窓から出入りをするのである。こうした時の女は、自己の貴重なるある局所に、異性のふれることを怖るるようになる。それが漸次に年齢をくわうるにしたがい、いかにして異性との接触抱擁を要求するにいたるか。一朝青春の血が体内にみなぎりそむるや、その若き胸に一つのパツシヨンを生ずる。これを満足せしめんがために、異性にたいして色情の表現をこころみるのである。

ここにいたつて、恋愛という問題が生まれてくるのである。この発情した時、異性からの慫慂に一種の恐怖心がおこるとともに、「怖いもの見たさ」の好奇心に駆られて、これに応ずるようになる。

女として性欲の能動的にもつともさかんなるは、二十七、八歳から三十七、八歳のいわゆる中年期である。いかに強く独身主義を主張するものも、よく一生を通じてその主張を貫くことができようか。中年期の離婚が、往々にして夫の生殖器不健全という点から出発するというが、統計上そうとうの数を占むるというがごとき、俗にいう、二十後家は立つても三十後家は立たぬという諺は、よくその間の消息を物語つている。
(出口王仁三郎著作集第三巻 P34−35 無題、『東北日記』 四の巻 昭和3年9月9日/ 読売新聞社/ 出口王仁三郎から引用)』

※二十後家は立つても三十後家は立たぬ:二十歳代で離別(死別)して寡婦になった女性は、夫婦生活の歓びも浅く、独り身を通すこともできるが、長く夫婦生活を味わって別れた寡婦は、再婚することが多い。

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