◎霊になっても孤独は変わらず
アストラル体離脱することそのもので、何か人間としての悲しみや不条理を徹底的に直視させられるようなことが起こるわけではない。丹波哲郎の「霊界旅行」で紹介されている事例は、光の存在に導かれて、バス事故で死んだ25名のあの世での一人一人の消息を追う様子を描写して、霊界、地獄界の実情を明らかにしようというもので、霊界好きの人には恰好の読み物になっている。
日本霊異記からスウェデンボルグ、霊界物語まで、霊界紹介ものは数多いが、その位置づけは、「人間は肉体オンリーの存在である」という先入観を払拭するヒントになる程度のものではないかと思う。
というのは、霊界にあっても、人間は個人としての分断から抜けられない。つまり霊界においても、自分は他人とは別であるという実感が変わらないからである。自分が他人とは別である限り、神と人とは実は同一である、という自覚は絶対に起こらない。
これは、昭和二十五年、高知県の山の中に掘った洞窟で、某氏の冥想中に起こった話。
1.初回の幽体離脱
『身体は、そのまま地面に、倒れ込んだに違いないのですが、私自身の意識は、宙に浮かび上がったというほうがどうやら当たっています。その瞬間激痛が走ったのも覚えています。
やがて祭りの太鼓のようなドンドン響く音が鳴り渡り、真っ暗な穴か洞窟のようなところを大変な勢いで昇っていったようでした。そしてふと気がつくと、私はいつのまにか高い木の梢にいるのです。』
(霊界旅行/丹波哲郎/中央アート出版から引用)
【チャクラと七つの身体−192】
◎アストラル体−61
2.アストラル体の性質−42
3.死のプロセスとアストラル-2 幽体離脱のステップ−1
(ザ・ジャンプ・アウト246)
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アストラル体離脱することそのもので、何か人間としての悲しみや不条理を徹底的に直視させられるようなことが起こるわけではない。丹波哲郎の「霊界旅行」で紹介されている事例は、光の存在に導かれて、バス事故で死んだ25名のあの世での一人一人の消息を追う様子を描写して、霊界、地獄界の実情を明らかにしようというもので、霊界好きの人には恰好の読み物になっている。
日本霊異記からスウェデンボルグ、霊界物語まで、霊界紹介ものは数多いが、その位置づけは、「人間は肉体オンリーの存在である」という先入観を払拭するヒントになる程度のものではないかと思う。
というのは、霊界にあっても、人間は個人としての分断から抜けられない。つまり霊界においても、自分は他人とは別であるという実感が変わらないからである。自分が他人とは別である限り、神と人とは実は同一である、という自覚は絶対に起こらない。
これは、昭和二十五年、高知県の山の中に掘った洞窟で、某氏の冥想中に起こった話。
1.初回の幽体離脱
『身体は、そのまま地面に、倒れ込んだに違いないのですが、私自身の意識は、宙に浮かび上がったというほうがどうやら当たっています。その瞬間激痛が走ったのも覚えています。
やがて祭りの太鼓のようなドンドン響く音が鳴り渡り、真っ暗な穴か洞窟のようなところを大変な勢いで昇っていったようでした。そしてふと気がつくと、私はいつのまにか高い木の梢にいるのです。』
(霊界旅行/丹波哲郎/中央アート出版から引用)
【チャクラと七つの身体−192】
◎アストラル体−61
2.アストラル体の性質−42
3.死のプロセスとアストラル-2 幽体離脱のステップ−1
(ザ・ジャンプ・アウト246)

