☆慧命経の粉砕図
道教の柳華陽においては、慧命経の挿絵の第四図道胎図から第五図出胎図において、気が満ち足りて、やがて円熟すると胎児(道胎)は頭頂より出て行き、身外に出る。これを陽神の出現とも言い、千弁の花びらがある蓮華中の如来とも呼ぶ。これがメンタル体の離脱と考えられる。
第六図化身図では、この陽神が妙道を通って虚無と化していくとあり、無上の垂直道ならぬ「妙道」を通って中心太陽に向かうことを言っているのだろう。
有より出て無に入るとは、文字通りアートマンからブラフマンへ。
第七図面壁図は、アートマンとブラフマンの合体の段階になる思われるが、「心印は空に懸り月の姿は浄い」とは、アートマンを月に見立てている。
「筏は岸に到って日光に融ける」とは、アートマンの中心太陽突入を比喩しているのだと思う。
柳華陽の凄いところは、この後のモクシャのところまできちんと記録しているところ。それが第八図の粉砕図である。これは「一片の光輝が法界を周り、日も月も忘れて寂浄にして霊虚」また、「不生不滅にして、無去無来」そして、「碧空に雲が散り山色浄く、慧は禅定に帰し、月輪は孤である」
粉砕図は十牛図の第八図と同じ一円相ではあるが、そこに到る道程は、禅などの只管打坐系メディテーションとは全く異なったものであり、その終着点もまたフツーの人々の夢にも思わない世界に隠されているのである。
【チャクラと七つの身体−262】
◎メンタル体−12
3.道教−4
☆慧命経の粉砕図
(ザ・ジャンプ・アウト316)
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道教の柳華陽においては、慧命経の挿絵の第四図道胎図から第五図出胎図において、気が満ち足りて、やがて円熟すると胎児(道胎)は頭頂より出て行き、身外に出る。これを陽神の出現とも言い、千弁の花びらがある蓮華中の如来とも呼ぶ。これがメンタル体の離脱と考えられる。
第六図化身図では、この陽神が妙道を通って虚無と化していくとあり、無上の垂直道ならぬ「妙道」を通って中心太陽に向かうことを言っているのだろう。
有より出て無に入るとは、文字通りアートマンからブラフマンへ。
第七図面壁図は、アートマンとブラフマンの合体の段階になる思われるが、「心印は空に懸り月の姿は浄い」とは、アートマンを月に見立てている。
「筏は岸に到って日光に融ける」とは、アートマンの中心太陽突入を比喩しているのだと思う。
柳華陽の凄いところは、この後のモクシャのところまできちんと記録しているところ。それが第八図の粉砕図である。これは「一片の光輝が法界を周り、日も月も忘れて寂浄にして霊虚」また、「不生不滅にして、無去無来」そして、「碧空に雲が散り山色浄く、慧は禅定に帰し、月輪は孤である」
粉砕図は十牛図の第八図と同じ一円相ではあるが、そこに到る道程は、禅などの只管打坐系メディテーションとは全く異なったものであり、その終着点もまたフツーの人々の夢にも思わない世界に隠されているのである。
【チャクラと七つの身体−262】
◎メンタル体−12
3.道教−4
☆慧命経の粉砕図
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