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慧命経の出神−2

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☆慧命経の出神−2
◎魂の成熟と離脱テク

人が初めて肉体を出る時は、どんな大物覚者でも驚くもののようだ。そうした驚きはOSHOも、ドン・ファン・マトゥスも率直に表明している。以下は慧命経の肉体離脱の説明。

『法身が出定して、凡体を離脱したなら、最初はすぐに泥丸に帰ってくるようにする。その後、まる七日間、さらにこれを養い育て、そしてまた出定する。最初の出定の際、仏祖や菩薩の姿や、美しげな情景が見えてくることがあるのだが、この時、決してこれらに心をとめてはならない。

これらは魔の変化したものであり、もしそれらに心を奪われると、魔の虜になり、魔の誘いのまま自己の帰るべき所を見失ってしまう。

これでは寂に帰すといえども、仏果はいまだ果たせず、自立して存在することができないため、必ず後世において再び生まれ変わることになる。必ず九地から十地を修し、更に十一等覚にまで修し、無色界を越える程まで心境を高めておく必要がある。

また初めて出定する際、肉体から3〜5尺程まで出るようにし、驚いたり恐れたりしてはならない。やがて車輪のような一つの金光が現れるのを待ち、念をもって〔意識的に〕その光の中に入り、性の中に収め入れる。

〔肉体に帰ってくる。〕
これが形を変えるための微妙な基本方法である。』
(慧命経/柳華陽/たにぐち書店p134-135から引用)

※泥丸:サハスラーラ・チャクラ

※仏教の修行者(菩薩)は、十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚の合計52段階の修行をする必要があるが、九地は49番目、十地は50番目、等覚は51番目の境地。等覚は、仏の正しいさとりに等しいさとり。

※「性の中に収め入れる」の「性」は心・精神を一般には指す。

肉体を出ると魔がお待ちかねであるので、それにかかわってはならないとしているが、逆に魔に関心を払いまくるのがモンロー研究所ということになろうか。拳銃と防弾チョッキの完全武装が当たり前の街に、丸腰で登場してはならないということでしょう。

そこで必要な拳銃と防弾チョッキにあたるものが、無色界を越える程の心境であり、無色界を越えるとは、欲界・色界・無色界の三界という、物質世界も精神現象の世界も超えた人間を超えた心境である。これには冥想修行を通じた魂の熟成が必要である。

このトリップの表現では、アストラル体レベルの出神なのかそうではないのかを確定することはむずかしいが、頭頂から出るので、メンタル体レベルなのだろう。また車輪のような一つの金光が何を意味するのか、つまりアートマ光の輪か、コーザル体なのか、それ以外の何かなのかは、わからない。


出胎図



【チャクラと七つの身体−264】
◎メンタル体−14
3.クンダリーニ・ヨーガ−6
☆慧命経の出神−2
(ザ・ジャンプ・アウト318)

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