◎天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし
これは、霊界物語最終巻第81巻の余白歌(出口王仁三郎)で、青森での昭和神聖会発会式の前後を詠んだもの。詠んだ日は、昭和九年十二月五日。
霊界物語第81巻は、そのまま読めば勧善懲悪の童話レベルの物語にしか見えない。すなわち、善悪相互の盛衰プロットを積み重ねながら、最後は悪魔を滅亡させて国難を鎮定するというストーリーにしている。ところが、巻頭の総説には、天地開闢の極元たるアートマンと思しき全容の描写を出してきているので、社会的には、来る時代が、悪人が一人もいない天国の地上での実現を意図し、さらに個人的には、天地開闢の極元を各人が承知すること、つまり各人が悟ることを時代のビジョンとして持っているように思う。
ただ、その時代に至る道は、師走の陸奥の風雪に吹きさいなまれながら進む、寒気きびしい道のりであることが、この昭和聖会発会式の歌の雰囲気からうかがわれる。
さて立替え立直しは、みちのくから始まるのだろうか。
悪人が一人もいない世界の実現など夢物語だと思っている人が多いが、各人が悟りさえすれば決して夢物語ではない。それがイデオロギーではない神主主義の実現ということ。
この大震災と、このところの地震の頻発、そして原発事故は、もう待ったなしのところで、各人の覚醒を、自分を見つめよという形で催促しているように思う。
そのためには一つ一つ日常生活の中の諸悪な習慣・作法をとりやめていく積み重ねが必要だが、厳密には自分が悟っていなければ、何が悪なのか見極めがつかないという課題もある。
津波も原発事故も
『天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし』
(出口王仁三郎)
非常時の日本を救ひ生かさむと いたづきの身を 陸奥に運べり
寒風は肌をつむざく真夜中の 青森駅に出迎ふまめ人
今日一日(ひとひ)青森分所に安居して いたづきの身を養ひにけり
行くとして可ならざるなき 我旅(わがたび)も 陸奥路の雪に屁古垂(ヘこた)れにけり
屁古垂れて 我止(や)むべきや 国の為(ため) 神聖運動に 邁進するのみ
塗炭屋根(トタンやね)に 雪のなだるる音すなり 陸奥路(むつぢ)を渡る風もゆるみて
みちのくの風は寒しも 地の上を ましろに包む 雪の風景
みちのくの 雪に埋(うづ)もれ 獅子吼するも 非常時日本を思へばなりけり
蛙等(かはずら)は日比谷ケ原に集まりて ふところ寒く啼(な)き立つるなり
みちのくの雪を見ながら我魂(わがたま)は いやますますに 振ひ立つなり
身を忘れ家を忘れて国の為に 雪の陸奥路に獅子吼するなり
陸奥(みちのく)の雪の大野に立ちながら 満洲派遣の 宣伝使を思ふ
年の瀬も早近(はやちか)づきて みちのくの大野をわたる風は酷(はげ)しも
夜もすがら 御代(みよ)を思ひて眠られず 我(わが)たましひは遠近(をちこち)にとぶ
右左雪(みぎひだりゆき)の襖(ふすま)に閉ぢられて 御国生(みくにい)かすと旅を続くる
教子(をしヘご)の文見る度(たび)に涙しぬ 吾(わが)みちのくの旅の夕べを
非常時の御国(みくに)の状(さま)をながむれば 心の駒の足掻(あが)き止(や)まずも
鉄瓶(てつびん)の湯のたぎる音を聴きながら 心安(やす)けく窓の雪見つ
風の音窓に聴きつつ吾はいま 天祥地瑞の校正を為(な)す
行きつまりたる世の中に 師走(しはす)の陸奥は雪につまれり
道の子はおのもおのもに真心(まこころ)をつくして御国(みくに)の為(ため)に動けり
形ある宝を捨てて世の為に働く道の子の 心愛(こころめぐ)しも
吾は今教(おしへ)の道の子に守られて この雪国を安く旅すも
いたづきをこらへてしのびて 寒国(かんこく)の 旅に立つなり国を思ひて
一日の猶予もならじ わが国の 現状見つつ安んずべきやは
天地(あめつち)の恵みはふかし 雪国に今日暖かく安居(やすゐ)するかも
神聖会運動に吾たちしより たち上りたり信徒(まめひと)ことごと
天国を地上に建てむと朝夕を かけめぐるなり国の遠近
草の根にすだく 虫の音消え果てて 冬来りつつゆきつまりたり
みはるかす陸奥(むつ)の大野は白雪の 外(ほか)に見るものなかりかりけり
警笛《けいてき》の音聞(おときこ)ゆなり 夕庭(ゆふには)に 神聖発会の迎へなるらむ
青森の発会式の壇上に現はれさやぐ狂神(きょうしん)ありたり
大本の大神 直ぐに取消せと 訳の判(わか)らぬ事を言ふなり
壇上に立ち上りたる反対者を 傍観したる昭青弱しも
妨害に対して司会者一言を たしなめざりしは迂潤ならずや
政党解消聯盟支部長と 名告(なの)りつつ 発会式を妨げむとせり
天地神総(てんちしんすべ)てを大本大神(おほもとおほかみ)と奉唱せるを知らざるたは言(ごと)
折々は風のまにまに聞え来る 北海の波の高き陸奥(むつ)なり
百万の敵もおそれぬ吾にして 旅になやむは足痛(そくつう)なりけり
今日一日(ひとひ)風はなけれど夕されば 寒むさ身にしむみちのくの旅
やがて今発会式にのぞまむと思ふもさむしいたづきの身は
天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし
【チャクラと七つの身体-349】
◎アートマン-53
7.古神道 ◎非常時日本の風景
(ザ・ジャンプ・アウト403)
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これは、霊界物語最終巻第81巻の余白歌(出口王仁三郎)で、青森での昭和神聖会発会式の前後を詠んだもの。詠んだ日は、昭和九年十二月五日。
霊界物語第81巻は、そのまま読めば勧善懲悪の童話レベルの物語にしか見えない。すなわち、善悪相互の盛衰プロットを積み重ねながら、最後は悪魔を滅亡させて国難を鎮定するというストーリーにしている。ところが、巻頭の総説には、天地開闢の極元たるアートマンと思しき全容の描写を出してきているので、社会的には、来る時代が、悪人が一人もいない天国の地上での実現を意図し、さらに個人的には、天地開闢の極元を各人が承知すること、つまり各人が悟ることを時代のビジョンとして持っているように思う。
ただ、その時代に至る道は、師走の陸奥の風雪に吹きさいなまれながら進む、寒気きびしい道のりであることが、この昭和聖会発会式の歌の雰囲気からうかがわれる。
さて立替え立直しは、みちのくから始まるのだろうか。
悪人が一人もいない世界の実現など夢物語だと思っている人が多いが、各人が悟りさえすれば決して夢物語ではない。それがイデオロギーではない神主主義の実現ということ。
この大震災と、このところの地震の頻発、そして原発事故は、もう待ったなしのところで、各人の覚醒を、自分を見つめよという形で催促しているように思う。
そのためには一つ一つ日常生活の中の諸悪な習慣・作法をとりやめていく積み重ねが必要だが、厳密には自分が悟っていなければ、何が悪なのか見極めがつかないという課題もある。
津波も原発事故も
『天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし』
(出口王仁三郎)
非常時の日本を救ひ生かさむと いたづきの身を 陸奥に運べり
寒風は肌をつむざく真夜中の 青森駅に出迎ふまめ人
今日一日(ひとひ)青森分所に安居して いたづきの身を養ひにけり
行くとして可ならざるなき 我旅(わがたび)も 陸奥路の雪に屁古垂(ヘこた)れにけり
屁古垂れて 我止(や)むべきや 国の為(ため) 神聖運動に 邁進するのみ
塗炭屋根(トタンやね)に 雪のなだるる音すなり 陸奥路(むつぢ)を渡る風もゆるみて
みちのくの風は寒しも 地の上を ましろに包む 雪の風景
みちのくの 雪に埋(うづ)もれ 獅子吼するも 非常時日本を思へばなりけり
蛙等(かはずら)は日比谷ケ原に集まりて ふところ寒く啼(な)き立つるなり
みちのくの雪を見ながら我魂(わがたま)は いやますますに 振ひ立つなり
身を忘れ家を忘れて国の為に 雪の陸奥路に獅子吼するなり
陸奥(みちのく)の雪の大野に立ちながら 満洲派遣の 宣伝使を思ふ
年の瀬も早近(はやちか)づきて みちのくの大野をわたる風は酷(はげ)しも
夜もすがら 御代(みよ)を思ひて眠られず 我(わが)たましひは遠近(をちこち)にとぶ
右左雪(みぎひだりゆき)の襖(ふすま)に閉ぢられて 御国生(みくにい)かすと旅を続くる
教子(をしヘご)の文見る度(たび)に涙しぬ 吾(わが)みちのくの旅の夕べを
非常時の御国(みくに)の状(さま)をながむれば 心の駒の足掻(あが)き止(や)まずも
鉄瓶(てつびん)の湯のたぎる音を聴きながら 心安(やす)けく窓の雪見つ
風の音窓に聴きつつ吾はいま 天祥地瑞の校正を為(な)す
行きつまりたる世の中に 師走(しはす)の陸奥は雪につまれり
道の子はおのもおのもに真心(まこころ)をつくして御国(みくに)の為(ため)に動けり
形ある宝を捨てて世の為に働く道の子の 心愛(こころめぐ)しも
吾は今教(おしへ)の道の子に守られて この雪国を安く旅すも
いたづきをこらへてしのびて 寒国(かんこく)の 旅に立つなり国を思ひて
一日の猶予もならじ わが国の 現状見つつ安んずべきやは
天地(あめつち)の恵みはふかし 雪国に今日暖かく安居(やすゐ)するかも
神聖会運動に吾たちしより たち上りたり信徒(まめひと)ことごと
天国を地上に建てむと朝夕を かけめぐるなり国の遠近
草の根にすだく 虫の音消え果てて 冬来りつつゆきつまりたり
みはるかす陸奥(むつ)の大野は白雪の 外(ほか)に見るものなかりかりけり
警笛《けいてき》の音聞(おときこ)ゆなり 夕庭(ゆふには)に 神聖発会の迎へなるらむ
青森の発会式の壇上に現はれさやぐ狂神(きょうしん)ありたり
大本の大神 直ぐに取消せと 訳の判(わか)らぬ事を言ふなり
壇上に立ち上りたる反対者を 傍観したる昭青弱しも
妨害に対して司会者一言を たしなめざりしは迂潤ならずや
政党解消聯盟支部長と 名告(なの)りつつ 発会式を妨げむとせり
天地神総(てんちしんすべ)てを大本大神(おほもとおほかみ)と奉唱せるを知らざるたは言(ごと)
折々は風のまにまに聞え来る 北海の波の高き陸奥(むつ)なり
百万の敵もおそれぬ吾にして 旅になやむは足痛(そくつう)なりけり
今日一日(ひとひ)風はなけれど夕されば 寒むさ身にしむみちのくの旅
やがて今発会式にのぞまむと思ふもさむしいたづきの身は
天地(あめつち)の自然の力に抗すべき 何物もなしと省みるべし
【チャクラと七つの身体-349】
◎アートマン-53
7.古神道 ◎非常時日本の風景
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