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覚鑁(かくばん)の阿字観

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◎ニルヴァーナへの展開

覚鑁(かくばん)の阿字観では、

「その行の時間は二時間ないしは一時間。この観を始めたらならば、行住坐臥、浄不浄にかかわらず、「アー」、「アー」と唱えなければならない。

このようにして時を惜しんで努力を積めば自ずから成就できる。疑ってはならない。
一心に乱れることなく行ずることを、本より成就するメソッドという。

というのは最初に「アー」と鳴いて生まれ出て以来、悦ばしいことがあれば、そのまま「アー」と笑い、哀しい事があれば、そのままに「アー」と嘆く。惜しい物をも「アー」と惜しみ、欲しい物をも「アーアー」と心を留める。とんでもない悪について「アー」と言わないことはない。

善悪の諸法、器界国土(山河大地などの我等の環境)、山河大地、すべて「アー」から生まれ出たものだからである。

また風が樹林を吹いて、波(浪)が真砂を打つ。鳥がカウカウと鳴き、雀がしゅうしゅうと鳴くように、何でも最初にマントラを唱えないものがあろうか。

このように不思議のマントラ(真言)だから、本(もと)自(よ)り成就していたことだったと、深く確信して(信心を致して)観ずることを本不生と申す」

それでもって初心者への注意があり、『初心者は、しつこくその理由を尋ねてはならない。ただただ一心に「アー」「アー」と唱えなさい。これは自然の道理のサマディ(三摩地)なのだから。』。


要するに何もかもが「アー」である。人間は、「アー」に喜び、「アー」に哀しみ、「アー」に死ぬという世界に生きている。これを疑うことなく一心に唱えて「アー」そのものになれば、本不生という永遠不壊になるということ。

最後の初心者への注意は、日蓮が禅天魔、念仏無間、真言亡国、律国賊などとして他宗派へ浮気することを戒めたのと同じような趣旨だろうと思う。

すべてが『アー(阿)』のマントラ・シッディとは、マントラ・シッディを超えることを覚鑁(かくばん)は確言している。マントラ・シッディのニルヴァーナへの展開の可能性を、ここまで明瞭に述べた人はあまりいないのではないだろうか。

【チャクラと七つの身体-387】
◎ニルヴァーナ-15
3.仏教-5 ◎覚鑁(かくばん)の阿字観
(ザ・ジャンプ・アウト441)


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