◎その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば
『第七章 真人
90すでに(人生の)旅路を終え、憂いをはなれ、あらゆることがらにくつろいで、あらゆる束縛の絆をのがれた人には、悩みは存在しない。
91 こころをとどめている人々は努めはげむ。かれらは住居を楽しまない。白鳥が池を立ち去るように、かれらはあの家、この家を捨てる。
92 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く路(=足跡)は知り難い。――――空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
93 その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれの足跡は知り難い。――――空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
94 御者が馬をよく馴らしたように、おのが感官を静め、高ぶりをすて、汚れのなくなった人――――――このような境地にある人を神々でさえも羨む。
95 大地のように逆らうことなく、門のしまりのように慎しみ深く、(深い)湖は汚れた泥がないように――――そのような境地にある人には、もはや、生死の世は絶たれている。
96正しい知識によって解脱して、やすらいに帰した人―――――そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行ないも静かである。
97 何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、――――かれこそ実に最上の人である。
98 村でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい。
99 人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛着なき人々は楽しむであろう。かれらは快楽を求めないからである。』
(ブッダの真理の言葉、感興の言葉/岩波文庫/23-24から引用)
なぜ快楽を求めないか。彼らは既にその快楽を楽しむ体験を十分に尽くしたからである。だから愛着はない。
あらゆる人間としての体験をし尽くして、世に倦む人々の正しくいきつく先が生死をも超えたニルヴァーナであるとは、説くのは簡単だが、理解し納得するのは、極めて困難である。
というのは、彼らと同じステージに立っているという自覚のある人は少なく、また生死を超えた、天国も地獄も結婚したところのニルヴァーナを求める動機を持つ人もさほど多くはないからである。
『第七章 真人
90すでに(人生の)旅路を終え、憂いをはなれ、あらゆることがらにくつろいで、あらゆる束縛の絆をのがれた人には、悩みは存在しない。
91 こころをとどめている人々は努めはげむ。かれらは住居を楽しまない。白鳥が池を立ち去るように、かれらはあの家、この家を捨てる。
92 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く路(=足跡)は知り難い。――――空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
93 その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれの足跡は知り難い。――――空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
94 御者が馬をよく馴らしたように、おのが感官を静め、高ぶりをすて、汚れのなくなった人――――――このような境地にある人を神々でさえも羨む。
95 大地のように逆らうことなく、門のしまりのように慎しみ深く、(深い)湖は汚れた泥がないように――――そのような境地にある人には、もはや、生死の世は絶たれている。
96正しい知識によって解脱して、やすらいに帰した人―――――そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行ないも静かである。
97 何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、――――かれこそ実に最上の人である。
98 村でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい。
99 人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛着なき人々は楽しむであろう。かれらは快楽を求めないからである。』
(ブッダの真理の言葉、感興の言葉/岩波文庫/23-24から引用)
なぜ快楽を求めないか。彼らは既にその快楽を楽しむ体験を十分に尽くしたからである。だから愛着はない。
あらゆる人間としての体験をし尽くして、世に倦む人々の正しくいきつく先が生死をも超えたニルヴァーナであるとは、説くのは簡単だが、理解し納得するのは、極めて困難である。
というのは、彼らと同じステージに立っているという自覚のある人は少なく、また生死を超えた、天国も地獄も結婚したところのニルヴァーナを求める動機を持つ人もさほど多くはないからである。