◎証明できないものは信じない
これは、OSHOバグワンの「秘教的ながらくたは避けなさい」という主張。このブログで云う「霊がかりは避けなさい」と同義。秘教的ながらくたの最たるものは、スピリチュアル予言系。
『いくら「こん畜生」を「すてき」といいなおしてみても、なんのちがいもない。宗教的、精神的ながらくたを学ぶことは、できるが・・・・。
ここにもいわゆる秘教的なたわごとの専門家がたくさんいる。かれらはいつも数多くの次元、数多くの身体、数多くのチャクラについて語っている。かれらはひどく真剣に語るものだから、聞く人はかならず、かれらはほんとうに知っているのだと思う。秘教的ながらくたは避けなさい!秘教的な知識は避けたほうがいい!それは知識ではなく、ただ人びとをたぶらかすためのものだ。そういったものごとに興味があるのなら、神智学者たちの偉大なる文学作品でも読んでみるといい。
どんな話題であれ、いかにもあの世の話のように脚色すればいい。証明もできなければ、否定もできない。いくつの次元があるかなんて、証明できるだろうか?七つあるとか、一三あるとか?』
(ダンマパダ/OSHO/メルクマールP85から引用)
秘教的ながらくた、つまり霊の話題、チャクラの話題、微細身、ボディの話、霊言、スピリチュアル予言などのことだが、真神から来ているものなどまずないから信用してはならないということ。但し覚者の詩や文学には見るべきものがあるとする。詩文の形で語るのが正統的であり、散文で語るのは罠が多すぎるということだろうと思う。
相手によっては、証明できないものは信じないようにと言ったり、秘教的ながらくたは避けなさいと言わなければならないのはわかる。が、それでは無用の用は遥かに遠い頂として位置する。
これは、OSHOバグワンの「秘教的ながらくたは避けなさい」という主張。このブログで云う「霊がかりは避けなさい」と同義。秘教的ながらくたの最たるものは、スピリチュアル予言系。
『いくら「こん畜生」を「すてき」といいなおしてみても、なんのちがいもない。宗教的、精神的ながらくたを学ぶことは、できるが・・・・。
ここにもいわゆる秘教的なたわごとの専門家がたくさんいる。かれらはいつも数多くの次元、数多くの身体、数多くのチャクラについて語っている。かれらはひどく真剣に語るものだから、聞く人はかならず、かれらはほんとうに知っているのだと思う。秘教的ながらくたは避けなさい!秘教的な知識は避けたほうがいい!それは知識ではなく、ただ人びとをたぶらかすためのものだ。そういったものごとに興味があるのなら、神智学者たちの偉大なる文学作品でも読んでみるといい。
どんな話題であれ、いかにもあの世の話のように脚色すればいい。証明もできなければ、否定もできない。いくつの次元があるかなんて、証明できるだろうか?七つあるとか、一三あるとか?』
(ダンマパダ/OSHO/メルクマールP85から引用)
秘教的ながらくた、つまり霊の話題、チャクラの話題、微細身、ボディの話、霊言、スピリチュアル予言などのことだが、真神から来ているものなどまずないから信用してはならないということ。但し覚者の詩や文学には見るべきものがあるとする。詩文の形で語るのが正統的であり、散文で語るのは罠が多すぎるということだろうと思う。
相手によっては、証明できないものは信じないようにと言ったり、秘教的ながらくたは避けなさいと言わなければならないのはわかる。が、それでは無用の用は遥かに遠い頂として位置する。