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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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ZENドッグ

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◎内側で出会う

ZENドッグは、柴犬のことで、アメリカで大人気だそうだ。アメリカではちょっとイカシたものには最近ZENをつける、ZENとは禅から来ている。

現代人は、ブランドに、色合い、風合い、肌触り、見た目を求めているわけでなく、そこに崇拝されるべき内的価値を求めている。その一つのシンボルがZENブームである。

デスパレートな妻たちを見ていると、気分が落ち込んだときには、ドラッグやカウンセリングがアメリカでは一般的であり、ハタ・ヨーガ、ホット・ヨーガや菜食はするのだが、いわゆるメディテーションの場面はまずない。要するにドラッグやカウンセリングという気分転換の延長線上に禅メディテーションがあるのだが、日常生活の中に冥想が位置づけられていると言う点で、アメリカン・カルチャーの方が日本より冥想的だと言える。

日本では、選挙の時に投票を頼まれる日蓮系宗教教団は身近かもしれないが、また朝出勤から帰宅までの時間帯に、ZENドッグの話題は出るかもしれないが、覚者に出会った話題はない。覚者の絶対数は少なく、何より我々は、誰が覚者なのか見分ける目を持たない。

あるいは、平素今朝坐った冥想の調子について語ることはない。というのは冥想はまだ平均的日本人の生活の中に居場所を持っておらず、その価値を再評価されるに至っていないから。

日本には外国からよく覚者が来る。ダライラマは代表的な覚者だ。でも覚者は日本語をしゃべらないので何を言っているかわからない。それでも、我々の日常のメイン・テーマは苦悩と孤独と葛藤なのに、なんだか、彼らは、至福と永遠に傷つかないことについて語る。それって日常に役に立つとは思えない。だから相変わらず、われわれの日常会話の中に冥想が出て来ない。

夢窓国師も師匠の中国語に苦労したふしがある。

日本文化固有の問題もあるが、覚者に出会うことも覚者の言説を読むことも外から来るものだ。まず少ない余暇の一部を坐ることに充てないと一歩踏み出すことにはならない。


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