◎ひたむきな求道心
古代インドの尼僧シーハーは、出家したものの欲情が念頭から離れず、心の平静を得ることが出来なかった。こうして迷える修行者として、7年を過ごし、やせ細り、顔色は青ざめ、肉体は衰えた。この間、昼であろうが夜であろうが、悩み苦しみ続け、安楽平穏というものを知ることはなかった。
ある日シーハーは縄をつかんで林のはずれに入った。「ふたたび情交を行うというような下劣なことをするならば、ここで首をくくったほうがましだ」と考え、ロープでしっかりした輪を作り木の枝に縛り、首をその輪に入れた。その時、彼女は解脱した。
シーハーは7年間ほとんどノイローゼみたいな状態になりながらも、解脱しようという一念を持ち続けていた。この発心が最後の奇蹟を呼んだ。どうすればいいのかわからないまま、半分発狂したような状態になり、そのままの状態が継続する人、あるいは自殺する人もいる。また悟ってもそのまま死を選ぶ人もいる。
シーハーの場合は、解脱から生還してきたのだ。解脱だけでも稀有だが、そこから生還するのは更にレアである。エロ狂いでも悟れるという平板な読み方もあるが、ここはひたむきな求道心のほうに力点があるように思う。
古代インドの尼僧シーハーは、出家したものの欲情が念頭から離れず、心の平静を得ることが出来なかった。こうして迷える修行者として、7年を過ごし、やせ細り、顔色は青ざめ、肉体は衰えた。この間、昼であろうが夜であろうが、悩み苦しみ続け、安楽平穏というものを知ることはなかった。
ある日シーハーは縄をつかんで林のはずれに入った。「ふたたび情交を行うというような下劣なことをするならば、ここで首をくくったほうがましだ」と考え、ロープでしっかりした輪を作り木の枝に縛り、首をその輪に入れた。その時、彼女は解脱した。
シーハーは7年間ほとんどノイローゼみたいな状態になりながらも、解脱しようという一念を持ち続けていた。この発心が最後の奇蹟を呼んだ。どうすればいいのかわからないまま、半分発狂したような状態になり、そのままの状態が継続する人、あるいは自殺する人もいる。また悟ってもそのまま死を選ぶ人もいる。
シーハーの場合は、解脱から生還してきたのだ。解脱だけでも稀有だが、そこから生還するのは更にレアである。エロ狂いでも悟れるという平板な読み方もあるが、ここはひたむきな求道心のほうに力点があるように思う。