◎笹目秀和の坎離印
笹目秀和氏が、崑崙山脈の疏勒南山に住む疏勒神仙に教わったのは、後にソ連の強制収容所で、身動きもならぬ床に水を張った独房で、一日にわずかしか差し込まない日光で命を永らえた太陽の精気を食む法だった。これを離火印と呼ぶ。
これに対して水精を食むものが坎水印。更に離火印と坎水印を合わせ行うものを坎離印とし、水火の精気を合わせ収める鎮魂である。これにより初めて完全円満なる天地人三才の合一の純陽を成就することができるという。
純陽とは、陰にして陰ならず、陽にして陽ならざるもの。笹目秀和氏によれば、これぞ「いずのめのみたま」だそうだ。(出所:モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店P261)
この本を読んでも「いずのめのみたま」のことを知らなければ、この部分は読み飛ばされる。私もかつてはその一人だった。
純陽が伊都能売(いずのめ)であるとは、この指摘まで気づかなかった。よって、両性具有なる純陽とはコーザル体のことだった。コーザル体とは神人合一の手前の段階のことである。
また中国最大の覚者と言えば唐代の呂洞賓。呂洞賓の別名は呂純陽。
笹目秀和氏が、崑崙山脈の疏勒南山に住む疏勒神仙に教わったのは、後にソ連の強制収容所で、身動きもならぬ床に水を張った独房で、一日にわずかしか差し込まない日光で命を永らえた太陽の精気を食む法だった。これを離火印と呼ぶ。
これに対して水精を食むものが坎水印。更に離火印と坎水印を合わせ行うものを坎離印とし、水火の精気を合わせ収める鎮魂である。これにより初めて完全円満なる天地人三才の合一の純陽を成就することができるという。
純陽とは、陰にして陰ならず、陽にして陽ならざるもの。笹目秀和氏によれば、これぞ「いずのめのみたま」だそうだ。(出所:モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店P261)
この本を読んでも「いずのめのみたま」のことを知らなければ、この部分は読み飛ばされる。私もかつてはその一人だった。
純陽が伊都能売(いずのめ)であるとは、この指摘まで気づかなかった。よって、両性具有なる純陽とはコーザル体のことだった。コーザル体とは神人合一の手前の段階のことである。
また中国最大の覚者と言えば唐代の呂洞賓。呂洞賓の別名は呂純陽。