教えるということ 知るということ
◎教えは大いに人を誤らせる 至道無難禅師の「見性した後に、これと教え込むと大方大悪人になるものだ」というのを念頭に置きながら、室町時代の蓮如が、真宗教団内のたくさん存在していた誤った教義の修正に心血を注いだことを読んだ。 神仏を見る、神仏に出会うという体験をした者でも、誤った見識に陥りやすい。キリスト教が堕天使を立てるのは、これと同じことを戒めているのだろう。...
View Article2012年の終わり
◎既成宗教と精神操作 2012年は、いろいろなものに整理をつけた年だった。 人間の肉体進化は、その極点に達し、その進化を止め、残るは意識の垂直ジャンプだけとなった。...
View Articleその時に見るやすらぎ−1
◎ダンテス・ダイジ−1 ○死刑囚でない人間なんか一人もいない 悟りについて未悟者が最も理解できないことの一つは、そのやすらぎの深さ、広さである。 ダンテス・ダイジの私家版講話録から、これはアトランティス崩壊以前にダンテス・ダイジが前世でものした「救世主入門」という冥想ガイドブックの一節 「忘れないように。君たちは必ず恐ろしい死を遂げる。...
View Articleその時に見るやすらぎ−2
◎ダンテス・ダイジ−2 ○自分を演じる訓練 我々は必ずや恐ろしい死を遂げる。そこですべてを失う。しかし運よく甦(よみがえ)れば、そこでは、訓練とよばれる真人間を生きるというドラマが始まる。 ダンテス・ダイジの私家版講話録の続き。...
View Articleその時に見るやすらぎ−3
◎ダンテス・ダイジ−3 ○世界遊戯へ その時のやすらぎに関心の高いのはキリスト教である。法悦とか恍惚とか呼ぶのだが、それ自体価値あるエビデンスとして実に丁寧に記録を残している。 キリスト教では、そのやすらぎを得るために努力しましょうみたいな言い回しだったり、ダンテス・ダイジなら『完全なやすらぎと無の世界に入る』(十三番目の冥想 雨宮第慈講話録/渡辺郁夫編P92)という言い方をしたり。...
View Article心を安定させる9ステップ
◎九種心住 観想法を行うのに心を安定させることは必要欠くべからざるものである。チベット密教では、三昧が成功するための要素として心の安定(止)は前提となるとする。 三昧とは心が対象に対して専一的に傾注して安住することだが、それは更に対象に対して連続的に止まらねばならない。そのためには、心が対象に対して散乱しないこと(憶念)と、散乱したかどうかを知ること(正知)が必要である。...
View Articleその時に見るやすらぎ−4
◎イグナティウス・ロヨラ イグナティウス・ロヨラは、イエズス会の創始者。 『ある日ドミニコ教会の合唱壇の階段のところで祈っていたとき、彼は天地創造における神の知恵の計画をはっきり見た。 また別の機会に祈祷行列に加わって歩いていたとき、彼の霊は神に夢中になった。 そして地上の住民の弱い理解力にふさわしい形と姿で聖三位一体の深遠な神秘を観想することが彼に許された。...
View Article翼という名のクンダリーニ
◎パイドロス(プラトン) プラトンのパイドロスに、ホメロスを吟唱する詩人たちが秘密にしている詩のうちエロースに関する詩の一節が引用されている。 『げに死すべき者どもは、それを翼持てるエロース(恋)と呼べど、 不死なる神々はプテロース(翼あるもの)と呼ぶ』 (プラトン全集3 パイドロス 山本光雄編 角川書店 P286から引用) パイドロスでは、この前段でこのような解説をしている。...
View Articleその時に見るやすらぎ−5
◎アヴィラの聖テレジア これはアヴィラの聖テレジアが、「我らを悪より救いたまえ、アーメン」について解説した文。 この文では、うつろい行く現世に何の期待も未練も残してはいない彼女の心情が率直に述べられる。キリスト者にとっては、それこそが真の癒しなのだが、人はそういうことに耐えられるだろうか。...
View Articleその時に見るやすらぎ−6
◎オーディン 北欧神話の主神オーディンは、巨人中の賢者のミーミルの守る知恵の泉の水を飲むために片目を差し出した。 ミーミルの泉は世界樹イグドラシルの3本に分かれた根のうち、霜の巨人の側に張り出した根元にある。...
View Articleイグナティウス・ロヨラの臨死体験
◎罪人であると叫んでもらう イグナティウス・ロヨラは、何度か臨死体験があるが、その時の一つ。臨死体験そのものは、被験者によって内容にばらつきが大きく、一般に臨死体験というだけで高評価を与えることができるものではないが、これは違う。 『臨死体験中、自分は義人であるという想いに苦しめられる。...
View Articleその時に見るやすらぎ−7
◎イグナティウス・ロヨラ−2 イグナティウス・ロヨラで、わかりやすい慰めの例があった。 『一五五〇年に非常に悪性の病気に冒され、かれ自身や多くの人々の判断でもう最期だと思った。 そのときには、死について考えながら、やがて死んでいくことに大きな快活さと霊的慰めを感じ、溢れる涙が流れ出てきた。...
View Article私の出口王仁三郎
◎霊界における神政実現の地ならし 先日NHKテレビで放送された大本教特集が一部で反響を呼んでいる。見そびれた私は週末の再放送を見る予定。 このブログでは、出口王仁三郎予言に注目して、いろいろと取り上げているが、基本は大クンダリーニ・ヨーギとしての出口王仁三郎という扱いである。 大クンダリーニ・ヨーギにしてこれだけ大きな社会的影響力を持ちえた人物は、20世紀において比肩できる者はいないのではないか。...
View Articleゾイゼの没我三種
◎半没我の謎 ドイツの苦行の専門家ゾイゼは、没我に三種類あるという。 その一は、自我の完全な消滅で、影が消え跡形もなくなるように、事物そのものが消え失せ、もはやそこには何物もなくなるといった状態。...
View Articleその時に見るやすらぎ−8
◎ゾイゼ ゾイゼは、神の本質とは純粋な単一性であるとする。 以下引用文中の「固有の存在」とは人間の自我のこと。 『この純粋な単一性は、暗い静寂であり、安らかな無為で、それを理解できるのは、単一性が、その固有の存在と共に輝き込む人だけです。 この静かな無為からいかなる悪しき思いも業もない真正の自由が輝き出るのです。...
View Article大本教 民衆は何を求めたのか
◎日本魂(やまとだましい) “NHK Eテレ特集 日本人は何を考えてきたのか 第9回 大本教 民衆は何を求めたのか〜出口なお・王仁三郎” この番組では、明治から昭和まで生活の苦しい民衆が、官への反発の大きなうねりとして糾合していったのが、大本教だったというような描き方だった。...
View Article組織宗教はいつごろから悪に切り替わったか
◎愛と自由 組織宗教内部にも組織宗教周辺にも稀に悟った人はいるだろう。だから組織宗教の信者全員が悪などと決めつけるつもりはない。 しかし、クリシュナムルティの最後の日記では、世界中の教会や司祭は、口で地上の平和を唱えながら、地上から殺人と戦争をなくすることはできなかった。なんとなれば、組織宗教には、愛も慈悲もないからである、と主張する。...
View Article神の愛の宣教者会
◎マザー・テレサもなかなか来日しようとしなかった 神の愛の宣教者会といえば、マザー・テレサがインドのコルカタでやっている救恤、救貧の会のことである。この会は、1950年ローマ教皇庁に認可された教団内では正式な会である。...
View Article柳華陽自伝
◎真正のグルとの出会い 柳華陽(1736~)は、中国煉丹の正統を継ぐ人物。その著書慧命経と金仙証論は、煉丹のエッセンスを具体的に語る書として稀有のものである。 柳華陽は、江西省南昌生まれ。幼少の頃から仏教に興味を持ち、悟道したいと考えていた。...
View Articleシンボルと宗教の歴史
◎宗教とはシンボル体系 行とは無意識の操作である。宗教とはシンボル体系のことである。シンボルとは無意識の操作である。そうしてみるとシンボルも行も無意識を操作するという点では同列であることがわかる。 宗教の教義とは、シンボルの体系であり、信者の集合的無意識は、そのシンボル体系で作られたルートの中を、祭儀や式典、日々の勤行を通じて、ほぼ決まった順序で流れてゆく。...
View Article