◎マクロの禊払と報恩感謝
真言密教の国家鎮護の後七日御修法は、この1200年、宮中において執り行われたり行われなかったり。
一方、時代が固定化し、人間が堕落し、奢侈淫逸に流れ、爛熟の弊風が世の中に充満すれば、日本では不思議に大地震が起こり、メガ・レベルの禊払いを行うのが、神国の神国たる所以である。
貞観、元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正、そして昭和18年の鳥取地震、19年の東南海地震、20年の三河地震、21年の南海地震、そして、2011年の東日本大震災と、大地震が起きた時代の雰囲気を見れば、当時の政治や経済や社会のありようが、大地震を招来したかに見える。
天災が多いということは、被災者がその都度発生することであるが、マクロな修祓、立替えというのは、そうしたものであり、それをきっかけに国全体が善なる方向に修正されるきっかけとなるのであるから、そのような災厄ですら神の恩寵と見ることこそ、真の報恩感謝というものだと思う。
人は自分の思いだけでは、何も実現できはしないが、それでも日々できることを精勤するのが、人として当たり前の姿である。
真言密教の国家鎮護の後七日御修法は、この1200年、宮中において執り行われたり行われなかったり。
一方、時代が固定化し、人間が堕落し、奢侈淫逸に流れ、爛熟の弊風が世の中に充満すれば、日本では不思議に大地震が起こり、メガ・レベルの禊払いを行うのが、神国の神国たる所以である。
貞観、元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正、そして昭和18年の鳥取地震、19年の東南海地震、20年の三河地震、21年の南海地震、そして、2011年の東日本大震災と、大地震が起きた時代の雰囲気を見れば、当時の政治や経済や社会のありようが、大地震を招来したかに見える。
天災が多いということは、被災者がその都度発生することであるが、マクロな修祓、立替えというのは、そうしたものであり、それをきっかけに国全体が善なる方向に修正されるきっかけとなるのであるから、そのような災厄ですら神の恩寵と見ることこそ、真の報恩感謝というものだと思う。
人は自分の思いだけでは、何も実現できはしないが、それでも日々できることを精勤するのが、人として当たり前の姿である。