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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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物を物そのものとして見るという見方

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◎心理的バランスを崩しやすい

人間は死んだら神や仏になると、漠然と考えられているのが東洋。人間は死んでも神や仏にならないと考えられているのが西洋。

東洋では、神や仏のあらゆる現われが人間や動物であり植物であり、無生物であり、動物も植物も四季と共に繁茂し、あるいは寿命の長短はあるが長じては盛んになりやがて衰え滅したり死したりするが、子孫が再びそのサイクルを繰り返すという永遠の連続性ある世界観を感じるものである。

これに対し西洋では、砂漠で生まれたキリスト教がバックボーンとなっているから、大自然というと砂漠のイメージであり、動物植物とも、みかけでは、生は一代限りであり、それがゆえにどうしても来世志向、彼岸志向が強くなる。

物を物として見るという見方は、人を人として見る、人は神ではないという見方の延長線上にあるものであるから、そうした社会は、人と人との契約や法律を、永遠性、安定性を担保する基幹として用いざるを得ない。

こうした神の居所なき社会に暮らす人間の心理には常にハイプレッシャーがかかるものであるから、そのはけ口を彼岸に置いた宗教が出てくるの当然の帰結と言える。

今や世界中がこうした神の居所なき社会である近代西欧文明に覆われている。その人々の心理は神の不在によって、大きな穴が開いている。これにより今の時代は発狂者が多い。

アスファルトとコンクリートとガラスでできた街で暮らすと心理的なバランスを崩しやすい。そのバランスを金やブランドで埋めるというはかない努力を続けるのが、現代人の平均的姿であるようにおもう。

物を物として見るというのは、当たり前のようであって、そうではない。

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