◎チベット密教ではない世界観
『ヒマラヤ聖者の生活探求』は、最近改訳みたいな『ヒマラヤ聖者への道』が出て改めて眺めてみたが、やはり霊がかり系であった。
『ヒマラヤ聖者への道』の第六巻の巻頭に舩井幸雄が『ヒマラヤ聖者の生活探求』のプロデューサーであり、かつ彼が生涯この本を愛したということが書いてある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』は、チベット密教の高僧たちと交流して書かれたはずなのに、チベット密教的な考え方には立脚せず、独特な霊的世界と超能力者たちの世界が描かれている。要するに霊能者の世界観のように見える。
舩井幸雄は、30代で身近な家族を次々と亡くし、彼の口癖は『この世は魂が勉強をしに来る学校のような場で、学び終えたら魂の故郷であるあの世に帰るのだ』だったそうだ。
また亡くなる直前の7年半は病に苦しみ、最後は外出できず自宅療養しながら仕事をしていたという。どんな聖者でもガンで死んだり、事故で死んだり、刑死したりと必ずしも大往生なわけではないので、長い病気療養がどうこうというわけではない。
舩井幸雄の輪廻転生観では、人が神と一体になる視点、つまり逆転は視野には入って来にくいように思う。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』は、40年前から何度も書店で立ち読みしたことがあるが、その都度買って帰るということがなく終わったのは、その辺の理由があった。舩井幸雄の本も一冊も読んだことがない。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』は、最近改訳みたいな『ヒマラヤ聖者への道』が出て改めて眺めてみたが、やはり霊がかり系であった。
『ヒマラヤ聖者への道』の第六巻の巻頭に舩井幸雄が『ヒマラヤ聖者の生活探求』のプロデューサーであり、かつ彼が生涯この本を愛したということが書いてある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』は、チベット密教の高僧たちと交流して書かれたはずなのに、チベット密教的な考え方には立脚せず、独特な霊的世界と超能力者たちの世界が描かれている。要するに霊能者の世界観のように見える。
舩井幸雄は、30代で身近な家族を次々と亡くし、彼の口癖は『この世は魂が勉強をしに来る学校のような場で、学び終えたら魂の故郷であるあの世に帰るのだ』だったそうだ。
また亡くなる直前の7年半は病に苦しみ、最後は外出できず自宅療養しながら仕事をしていたという。どんな聖者でもガンで死んだり、事故で死んだり、刑死したりと必ずしも大往生なわけではないので、長い病気療養がどうこうというわけではない。
舩井幸雄の輪廻転生観では、人が神と一体になる視点、つまり逆転は視野には入って来にくいように思う。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』は、40年前から何度も書店で立ち読みしたことがあるが、その都度買って帰るということがなく終わったのは、その辺の理由があった。舩井幸雄の本も一冊も読んだことがない。