◎他宗派を排撃せず
元政上人は、江戸時代の日蓮宗の人物で熊沢蕃山の知己。他の日蓮宗の僧のように「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と唱えて他宗派を排撃することをしなかったので、宗派内から白眼視された。
それについて元政上人は、日蓮上人(高祖師)を師とすと雖も、心を師とし、跡を師とせずとし、日蓮上人の行ったことをそのまま真似はせず、日蓮上人のこころを師とするのだと主張して宗派内からの批判に応じている。
彼の和歌
『あめつちの心にかなふしらべには 山の岩木も 動くばかりぞ』
これは言霊がどこから来ているかを承知している人の歌。
更に
『終日、法界に行き
終日、法界に坐し
終日、法界に立ち
終日、法界に臥す』
これは冥想家として面目躍如たる詩である。真如、あるいはニルヴァーナなる法界に出入自在であることが窺える。長時間坐り、かつ達していなければこうした偈は出てこない。江戸時代初期に、天は日蓮宗から元政上人を出したのは凄いことである。
元政上人は、江戸時代の日蓮宗の人物で熊沢蕃山の知己。他の日蓮宗の僧のように「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と唱えて他宗派を排撃することをしなかったので、宗派内から白眼視された。
それについて元政上人は、日蓮上人(高祖師)を師とすと雖も、心を師とし、跡を師とせずとし、日蓮上人の行ったことをそのまま真似はせず、日蓮上人のこころを師とするのだと主張して宗派内からの批判に応じている。
彼の和歌
『あめつちの心にかなふしらべには 山の岩木も 動くばかりぞ』
これは言霊がどこから来ているかを承知している人の歌。
更に
『終日、法界に行き
終日、法界に坐し
終日、法界に立ち
終日、法界に臥す』
これは冥想家として面目躍如たる詩である。真如、あるいはニルヴァーナなる法界に出入自在であることが窺える。長時間坐り、かつ達していなければこうした偈は出てこない。江戸時代初期に、天は日蓮宗から元政上人を出したのは凄いことである。