◎オームは現在、過去、未来のすべてである
ヨーガ・スートラでは、『至高の存在の表現が、聖音オームである』とし、『オームを繰り返し、その意味への念想がなされなけらばならない』、更に『この実践により内なる自己を知り、障害はなくなる』これが基本。
オームの意味を念想するとあるが、特定の意味が最初に与えられるわけではないので、自分がオームそのものにならない限りはその意味は与えられることはないだろう。観想法とは異なるのだ。その点で意味を念想するとは、あるトラップである。
マンドゥーキヤ・ウパニシャッドでは、
『オームは現在、過去、未来のすべてである。3世を超えるものすらすべてオームである』(現代人のためのヨーガ・スートラ/グレゴール・メーレ/産調出版P57から引用)とそのものズバリで解説する。
マンドゥーキヤ・ウパニシャッドの方は、過去現在未来を貫くオームをその目で確認したのだろう。
これに対し、ヴィギャンバイラブ・タントラでは、
『−39−
ある音をゆっくり唱える「オーム」と。
音が遍音(あまねくひろがる)状態になるとき、あなたもそうなる。』
(沈黙の音/OSHOバグワン/市民出版社P94から引用)
オームの本質を理解するには、オームに成りきって、更にオームが現在、過去、未来を貫くものそして、それを超えるものであることを『見る』という体験が必要なのだろうと思う。意味を語ってもその体験がない限り、その意味を信じるかどうかというつまらないことになってしまう。
オーーーーーム
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悟りとは何か
ヨーガ・スートラでは、『至高の存在の表現が、聖音オームである』とし、『オームを繰り返し、その意味への念想がなされなけらばならない』、更に『この実践により内なる自己を知り、障害はなくなる』これが基本。
オームの意味を念想するとあるが、特定の意味が最初に与えられるわけではないので、自分がオームそのものにならない限りはその意味は与えられることはないだろう。観想法とは異なるのだ。その点で意味を念想するとは、あるトラップである。
マンドゥーキヤ・ウパニシャッドでは、
『オームは現在、過去、未来のすべてである。3世を超えるものすらすべてオームである』(現代人のためのヨーガ・スートラ/グレゴール・メーレ/産調出版P57から引用)とそのものズバリで解説する。
マンドゥーキヤ・ウパニシャッドの方は、過去現在未来を貫くオームをその目で確認したのだろう。
これに対し、ヴィギャンバイラブ・タントラでは、
『−39−
ある音をゆっくり唱える「オーム」と。
音が遍音(あまねくひろがる)状態になるとき、あなたもそうなる。』
(沈黙の音/OSHOバグワン/市民出版社P94から引用)
オームの本質を理解するには、オームに成りきって、更にオームが現在、過去、未来を貫くものそして、それを超えるものであることを『見る』という体験が必要なのだろうと思う。意味を語ってもその体験がない限り、その意味を信じるかどうかというつまらないことになってしまう。
オーーーーーム


悟りとは何か