◎快・不快の差を越える(浄穢不二)
秘密集会タントラを何年振りかで読んだが、改めて糞尿のオンパレードであった。こういう経典だと、日常感覚の人は不愉快に思うので、あまり先には読み進めないし、訳のわかった人だけが密意を感じ取り、なおも真意を追おうとするものだ。
大本教の神典である霊界物語にも主神の艮の金神は、水洗トイレのない時代に大便所に何千年も落ちていた神様でしたというのが第一巻に出てくるが、ほとんどの人は読み飛ばすだろうが、真相のかけらはそこにも隠れている。
17世紀頃ハンブルクの商人ヘーニッヒ・ブラントは、錬金術の熱心な研究家であった。彼は黄金製造原料のエリクサーは賢者の石であり、尿の中には些少だが生命力の根源が流れ出ていると考えた。そこで多量の尿を集め濃縮して残留物を乾溜したところ、新元素の“燐”を発見した。燐は不老不死の薬ではなかったが、人間の生活向上の助けにはなった。これは方向ははずしたが、成果はたまたまあったというだけのこと。
心理学者フロイトの夢判断などに、夢中の大便は黄金のシンボルとして出てくることが知られている。
映画監督パゾリーニのスカトロジーのようなドツボにはまるわけにはいかないが、物質を支配する白狐を重んじている以上は逆転はなく、そうした世界観の逆転のシンボルとしても糞尿が使われることも下品・不快ながら知っておくべきだろう。
下品・不快だけど禅者は人間のことを糞袋と蔑称し、ラーマクリシュナはうら若い女性の中にはうんこが詰まっていると透視し性欲を表面化させなかった。
こんなわけで、クンダリーニ・ヨーガ的世界観、古神道的世界観、密教的世界観は、まともに現代社会の価値観の土俵で勝負するわけにはいかない。
秘密集会タントラを何年振りかで読んだが、改めて糞尿のオンパレードであった。こういう経典だと、日常感覚の人は不愉快に思うので、あまり先には読み進めないし、訳のわかった人だけが密意を感じ取り、なおも真意を追おうとするものだ。
大本教の神典である霊界物語にも主神の艮の金神は、水洗トイレのない時代に大便所に何千年も落ちていた神様でしたというのが第一巻に出てくるが、ほとんどの人は読み飛ばすだろうが、真相のかけらはそこにも隠れている。
17世紀頃ハンブルクの商人ヘーニッヒ・ブラントは、錬金術の熱心な研究家であった。彼は黄金製造原料のエリクサーは賢者の石であり、尿の中には些少だが生命力の根源が流れ出ていると考えた。そこで多量の尿を集め濃縮して残留物を乾溜したところ、新元素の“燐”を発見した。燐は不老不死の薬ではなかったが、人間の生活向上の助けにはなった。これは方向ははずしたが、成果はたまたまあったというだけのこと。
心理学者フロイトの夢判断などに、夢中の大便は黄金のシンボルとして出てくることが知られている。
映画監督パゾリーニのスカトロジーのようなドツボにはまるわけにはいかないが、物質を支配する白狐を重んじている以上は逆転はなく、そうした世界観の逆転のシンボルとしても糞尿が使われることも下品・不快ながら知っておくべきだろう。
下品・不快だけど禅者は人間のことを糞袋と蔑称し、ラーマクリシュナはうら若い女性の中にはうんこが詰まっていると透視し性欲を表面化させなかった。
こんなわけで、クンダリーニ・ヨーガ的世界観、古神道的世界観、密教的世界観は、まともに現代社会の価値観の土俵で勝負するわけにはいかない。