◎体外離脱の世界観の現界
医師であり超心理学者のサー・オークランド・ゲッディーのレポートから。体外離脱にさいし、起こったことについて気が付いていた人の報告。
『十一月九日土曜日の夜中前、私は大変工合いの悪いのを感じはじめた。二時頃には、案の定、急性の胃炎(胃腸の炎症)にかかっていた。八時まで、急性中毒のあらゆる症状が出た、脈も呼吸もほとんどなかった。助けを呼ぼうとしたが、もうできないことが分かった。それで肚を決めて、助けを求めるのは諦めた。私には、病状のひどいのが分かっていた。そこでざっと自分の経済状態について考えてみた。その間じゅう、私の意識はまったく曇っていなかったと思われる。
しかし突然、私の意識がもう一つの意識、それもやっぱり私の中にあるのだが、それと分離しているのに気づいた。うまく分かってもらえるように、それらをA意識とB意識と呼ぼう。
以下のことが起こる間、自我はA意識と結びついていた。私はB人格が体に属しているのを知った。そして、体の状態がしだいに悪くなり、心臓がほとんど打たなくなった時、体に属するB意識が複雑な組合せであるしるしを示しはじめたこと、すなわち、それが頭や心臓や内臓の体感に基づいていることに気がついた。これらの諸要素がばらばらになってきた。
そしてB意識が崩れはじめたのである。その間、A意識-それが私自身であった-は、完全に体の外にあるらしく、私は自分の体を見ることができた。
だんだん私は、体や私の横たわっているべッドだけでなく、家の中や庭にあるすべてのものが見えるのに気づいた。さらに家のものだけでなく、注意を向けさえすれば、ロンドンやスコットランドにあるものまで見えるのが分かった。そして私が顧問と名づけた未知の源泉から、私が空間のもつ時間的次元において完全に自由であることを知らされた。
そこでは「今」が、通常の生活における三次元空間の「ここ」とほとんど同じなのである。それから私は、医者が呼ばれ生気のない体にカンフル注射をするのを見た・・・・そしてひき戻された・・・私は不承不承、自分の体に戻ったのである。』
(夢と死 死の間際に見る夢の分析/M.L.フォン・フランツ/人文書院P134-135から引用)
A意識はアストラル体、B意識は肉体。肉体は図らずも頭や心臓や内臓の集合的な意識だった。
意識がアストラル体にうつると空間認知の自由を得るが、これをもって「今」「ここ」と称しているが、この「今」「ここ」は本物の「今」「ここ」ではない。
でも古今東西、霊能力者が「今」「ここ」と感じたのはこの体感なのだろう。ところが本物の「今」「ここ」は時間もない、宇宙の中心、日中無影である。
医師であり超心理学者のサー・オークランド・ゲッディーのレポートから。体外離脱にさいし、起こったことについて気が付いていた人の報告。
『十一月九日土曜日の夜中前、私は大変工合いの悪いのを感じはじめた。二時頃には、案の定、急性の胃炎(胃腸の炎症)にかかっていた。八時まで、急性中毒のあらゆる症状が出た、脈も呼吸もほとんどなかった。助けを呼ぼうとしたが、もうできないことが分かった。それで肚を決めて、助けを求めるのは諦めた。私には、病状のひどいのが分かっていた。そこでざっと自分の経済状態について考えてみた。その間じゅう、私の意識はまったく曇っていなかったと思われる。
しかし突然、私の意識がもう一つの意識、それもやっぱり私の中にあるのだが、それと分離しているのに気づいた。うまく分かってもらえるように、それらをA意識とB意識と呼ぼう。
以下のことが起こる間、自我はA意識と結びついていた。私はB人格が体に属しているのを知った。そして、体の状態がしだいに悪くなり、心臓がほとんど打たなくなった時、体に属するB意識が複雑な組合せであるしるしを示しはじめたこと、すなわち、それが頭や心臓や内臓の体感に基づいていることに気がついた。これらの諸要素がばらばらになってきた。
そしてB意識が崩れはじめたのである。その間、A意識-それが私自身であった-は、完全に体の外にあるらしく、私は自分の体を見ることができた。
だんだん私は、体や私の横たわっているべッドだけでなく、家の中や庭にあるすべてのものが見えるのに気づいた。さらに家のものだけでなく、注意を向けさえすれば、ロンドンやスコットランドにあるものまで見えるのが分かった。そして私が顧問と名づけた未知の源泉から、私が空間のもつ時間的次元において完全に自由であることを知らされた。
そこでは「今」が、通常の生活における三次元空間の「ここ」とほとんど同じなのである。それから私は、医者が呼ばれ生気のない体にカンフル注射をするのを見た・・・・そしてひき戻された・・・私は不承不承、自分の体に戻ったのである。』
(夢と死 死の間際に見る夢の分析/M.L.フォン・フランツ/人文書院P134-135から引用)
A意識はアストラル体、B意識は肉体。肉体は図らずも頭や心臓や内臓の集合的な意識だった。
意識がアストラル体にうつると空間認知の自由を得るが、これをもって「今」「ここ」と称しているが、この「今」「ここ」は本物の「今」「ここ」ではない。
でも古今東西、霊能力者が「今」「ここ」と感じたのはこの体感なのだろう。ところが本物の「今」「ここ」は時間もない、宇宙の中心、日中無影である。