◎喜んで命をさしだす
アヴィラのテレサは、自分のことを、やがて死にゆく白い蝶に例えて語る。
修行中の蝶は、主をたたえたい望みに燃え、喜んで身を粉にし、主のためには何度でも死にたいと思っている自分を発見する。
そして、テレサは、芋虫の中から蝶が出てくるのを見て、
蝶は、祈りに入り、この世に全く死ぬとき、白い蝶として生まれ変わってくる。蝶は、自分がその幸福に値しないことを承知しているが、この幸福がどこからもたらされたのか知らない。
このことをテレサは、「今、あの小さな蝶は死に憩いを見出し、こよなく大きな歓喜に満たされている。そしてあの蝶の内にキリストが生きておられると私たちは話していました。」
(霊魂の城/アビラの聖女テレサ/聖母文庫P388から引用)
彼女によると、この時、蝶は本当に自分が存在しないように自分を忘れてしまい、自己を認識することなく、自分のために天国や命や名誉がありことも思い出さない。ただひたすら神の栄誉を求めることにすべてを捧げているとする。
この状態こそ天国と地獄を超えたあり方であり、少なくとも天国は超えている。これを天国と地獄の結婚などという表現をする場合もあるが、とてもわかりづらい。
でも現代人に求められているのはこのレベルであることは間違いない。神のために自分で何かできることがわかったら、そのためなら喜んで命をさしだすのだ。
過激かもしれないが、そこにしか救済はない。
アヴィラのテレサは、自分のことを、やがて死にゆく白い蝶に例えて語る。
修行中の蝶は、主をたたえたい望みに燃え、喜んで身を粉にし、主のためには何度でも死にたいと思っている自分を発見する。
そして、テレサは、芋虫の中から蝶が出てくるのを見て、
蝶は、祈りに入り、この世に全く死ぬとき、白い蝶として生まれ変わってくる。蝶は、自分がその幸福に値しないことを承知しているが、この幸福がどこからもたらされたのか知らない。
このことをテレサは、「今、あの小さな蝶は死に憩いを見出し、こよなく大きな歓喜に満たされている。そしてあの蝶の内にキリストが生きておられると私たちは話していました。」
(霊魂の城/アビラの聖女テレサ/聖母文庫P388から引用)
彼女によると、この時、蝶は本当に自分が存在しないように自分を忘れてしまい、自己を認識することなく、自分のために天国や命や名誉がありことも思い出さない。ただひたすら神の栄誉を求めることにすべてを捧げているとする。
この状態こそ天国と地獄を超えたあり方であり、少なくとも天国は超えている。これを天国と地獄の結婚などという表現をする場合もあるが、とてもわかりづらい。
でも現代人に求められているのはこのレベルであることは間違いない。神のために自分で何かできることがわかったら、そのためなら喜んで命をさしだすのだ。
過激かもしれないが、そこにしか救済はない。