◎妬みなき挨拶・礼儀
盤珪禅師在世の時、姫路に一人の盲人がいた。他人の声を聞いてその心事をさとる天才を持っていた。
その盲人がいつも言うには、「お祝いの言葉には必ず愁いのバイブレーションがあり、哀しみをいたむ言葉には必ず喜びの響きがある(賀辞には必ず愁声あり。弔辞には必ず歓声あり)。
ところが、盤珪禅師だけは、得失・毀誉・尊卑・上下のあらゆるケースで、やわらぎにみちた妙音声であって、その声を聞いただけで入信するのももっともである。」と
世間では盛んに挨拶、礼儀というが、美辞麗句を並べて事足れりという世間の風潮は、江戸時代から変わらぬもの。男女を問わず誰にでも妬みがあることが基調の日本文化であり、妬みを表面化させないことが、平等の名のもとに世の中の秩序を保つ代表的手法であり続けてきた。
他人の不幸は蜜の味と広言しても誰も眉を顰めない無神経な風潮を去るには、個々人が自らのうちに宿る神を知ることしかあるまいと思う。
盤珪禅師在世の時、姫路に一人の盲人がいた。他人の声を聞いてその心事をさとる天才を持っていた。
その盲人がいつも言うには、「お祝いの言葉には必ず愁いのバイブレーションがあり、哀しみをいたむ言葉には必ず喜びの響きがある(賀辞には必ず愁声あり。弔辞には必ず歓声あり)。
ところが、盤珪禅師だけは、得失・毀誉・尊卑・上下のあらゆるケースで、やわらぎにみちた妙音声であって、その声を聞いただけで入信するのももっともである。」と
世間では盛んに挨拶、礼儀というが、美辞麗句を並べて事足れりという世間の風潮は、江戸時代から変わらぬもの。男女を問わず誰にでも妬みがあることが基調の日本文化であり、妬みを表面化させないことが、平等の名のもとに世の中の秩序を保つ代表的手法であり続けてきた。
他人の不幸は蜜の味と広言しても誰も眉を顰めない無神経な風潮を去るには、個々人が自らのうちに宿る神を知ることしかあるまいと思う。