◎サハスラーラから自分の外に出る
サハスラーラから自分の外に出るとは、メンタル体で出ることを指し、アストラル・プロジェクション、アストラル・トリップのことではなく、ここは本山博も厳しく峻別している。
短文でスラっと書いているが、とても重要なポイントである。
肉体以下メンタル体まで四つのボディがあり、それぞれにサハスラーラ・チャクラがある。メンタル体のことを本山博はカラーナと呼んでいるようだ。
『個人のカルマからの離脱
二一一ページの終わりに『自己の存在が拡がり、多くの人や物を自己の中に包摂することが、
より広く、自由にできるようになりました。また、カルマからの離脱や、肉体の束縛を離れて自由に活動することが、より広汎に、より自由にできるようになりました。さらに神との合一がより高い次元で行なわれることができるようになりました。』とごく簡単に書いてありますが、以上で説明したように、サハスラーラの目覚めといっても、アストラルからカラーナ、プルシャ、あるいはそれをこえた神様の次元というふうに段階があり、そこで生じる現象にも、いろいろなプロセスがある。
例えばアストラルの次元の場合は、超感覚的なものが残っていて、光なら、色のある光がみえる。カラーナの次元になると、白色とか透明な光になる。さらにそういうものをこえてゆくと、自分の中になんでも在るようになる。
そして、とうとう神様と一つになれるようになる、ということなのです。だからサハスラーラがまず開けて、自分の外に出て自由になれないと、神様との合一はできないのです。』
(チャクラの覚醒と解脱P260-261から引用)
悪いことをしなくなるとは個人のことのように考えるが、千年王国、至福千年、みろくの世の秘密はそこにある。
サハスラーラから自分の外に出るとは、メンタル体で出ることを指し、アストラル・プロジェクション、アストラル・トリップのことではなく、ここは本山博も厳しく峻別している。
短文でスラっと書いているが、とても重要なポイントである。
肉体以下メンタル体まで四つのボディがあり、それぞれにサハスラーラ・チャクラがある。メンタル体のことを本山博はカラーナと呼んでいるようだ。
『個人のカルマからの離脱
二一一ページの終わりに『自己の存在が拡がり、多くの人や物を自己の中に包摂することが、
より広く、自由にできるようになりました。また、カルマからの離脱や、肉体の束縛を離れて自由に活動することが、より広汎に、より自由にできるようになりました。さらに神との合一がより高い次元で行なわれることができるようになりました。』とごく簡単に書いてありますが、以上で説明したように、サハスラーラの目覚めといっても、アストラルからカラーナ、プルシャ、あるいはそれをこえた神様の次元というふうに段階があり、そこで生じる現象にも、いろいろなプロセスがある。
例えばアストラルの次元の場合は、超感覚的なものが残っていて、光なら、色のある光がみえる。カラーナの次元になると、白色とか透明な光になる。さらにそういうものをこえてゆくと、自分の中になんでも在るようになる。
そして、とうとう神様と一つになれるようになる、ということなのです。だからサハスラーラがまず開けて、自分の外に出て自由になれないと、神様との合一はできないのです。』
(チャクラの覚醒と解脱P260-261から引用)
悪いことをしなくなるとは個人のことのように考えるが、千年王国、至福千年、みろくの世の秘密はそこにある。