◎なんでもみな自分の中に在る
本山博の主著は、「密教ヨーガ」と「チャクラの覚醒と解脱」。彼は今生だけの修行者ではなく、何回もの過去世において修行を積んできており、ニルヴァーナにも到達している。
当たりまえのことだが、霊能を開くのが目的ではなく、プルシャたるアートマン以上の次元に進むことが絶対必要としている。悪いことをしなくならないとプルシャ以上の次元に進めないという(衆善奉行)のも仏教などメジャー宗教では当然のことをも確認している。
本山博が最初に本を出した昭和30年代は、チャクラやアストラル体について理解する人が少なかった。そうしたテクニカル・タームは最近わりと語られるが、プルシャ以上の次元で、という基本線については、依然として理解されることは少ない。
『確かに、人間というのは、物理的な次元では小さな身体をもっているけれども、その魂というか、精神がカルマの世界をこえたプルシャの次元以上のところへ行くと、なんでもみな自分の中に在るようになってしまう。自分と他人とが別だったり、自分と富士山とが別だったりするのではなくて、他人も富士山もみな自分の中に在るようになってしまう。
そういう力を悪いことに使うとだめですね。悪いことに使うと、自分、がエライ目にあう――――というより、悪いことは自然にしなくなる。というのは、悪いことはしなくならないと、プルシャ以上の次元で目覚めてこないからです。
ところが、アストラルの次元の場合は、悪いことにも力が使えるのです。そのかわり、力も大したことはないけれどもね。生霊になったり、人を病気にしたりするようなことは、アストラルの次元ではできるのです。それは、まだまだ個人の状態でいるからですね。』
(チャクラの覚醒と解脱/本山博/宗教心理出版P260-261から引用)
本山博の主著は、「密教ヨーガ」と「チャクラの覚醒と解脱」。彼は今生だけの修行者ではなく、何回もの過去世において修行を積んできており、ニルヴァーナにも到達している。
当たりまえのことだが、霊能を開くのが目的ではなく、プルシャたるアートマン以上の次元に進むことが絶対必要としている。悪いことをしなくならないとプルシャ以上の次元に進めないという(衆善奉行)のも仏教などメジャー宗教では当然のことをも確認している。
本山博が最初に本を出した昭和30年代は、チャクラやアストラル体について理解する人が少なかった。そうしたテクニカル・タームは最近わりと語られるが、プルシャ以上の次元で、という基本線については、依然として理解されることは少ない。
『確かに、人間というのは、物理的な次元では小さな身体をもっているけれども、その魂というか、精神がカルマの世界をこえたプルシャの次元以上のところへ行くと、なんでもみな自分の中に在るようになってしまう。自分と他人とが別だったり、自分と富士山とが別だったりするのではなくて、他人も富士山もみな自分の中に在るようになってしまう。
そういう力を悪いことに使うとだめですね。悪いことに使うと、自分、がエライ目にあう――――というより、悪いことは自然にしなくなる。というのは、悪いことはしなくならないと、プルシャ以上の次元で目覚めてこないからです。
ところが、アストラルの次元の場合は、悪いことにも力が使えるのです。そのかわり、力も大したことはないけれどもね。生霊になったり、人を病気にしたりするようなことは、アストラルの次元ではできるのです。それは、まだまだ個人の状態でいるからですね。』
(チャクラの覚醒と解脱/本山博/宗教心理出版P260-261から引用)