◎グルへの帰依
ヨーガ経典の一つゲーランダー・サンヒターの最後の方に、
『こころを肉体から分離して、それを至上我へ合一させる。これがサマーディなりと知るべし。これはダシャー等からの解脱と名づけられている』
(続ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平川出版社p131から引用)とある。
ゲーランダー・サンヒターでは、観想修行がメインなのだが、サマーディの説明の先で、突然至上我への合一が登場する。これは、グルへの帰依に基づき、グルの慈悲と恩恵により起こるということが意味深長。
個的ボディがあるのは、メンタル体までだから、脱身は、肉体からメンタル体で出てなどと露骨には表現しない。こころが肉体から出ると云う。
佐保田鶴治は、ダシャーを訳出していないが、忘我トランスのようなものとも考えられるとしている。ダンテス・ダイジは、こういうプロセスにおいても意識清明と説くので、この前段で忘我トランスであっても、そこを清明にはっきりしていなければならないのだろう。
ダンテス・ダイジが中心太陽への突入を説いた文を初めて見たときは、独自説かと思い、ただ目新しかったが、その後このような古代インド文献や道教やアイルランド神話、出口王仁三郎の霊界物語などにこうしたシーンが記載されているのを確認して、その正当性に改めて思いを致したのだった。
※体外離脱には3種あるが、これは最も正統的なものである。
ヨーガ経典の一つゲーランダー・サンヒターの最後の方に、
『こころを肉体から分離して、それを至上我へ合一させる。これがサマーディなりと知るべし。これはダシャー等からの解脱と名づけられている』
(続ヨーガ根本経典/佐保田鶴治/平川出版社p131から引用)とある。
ゲーランダー・サンヒターでは、観想修行がメインなのだが、サマーディの説明の先で、突然至上我への合一が登場する。これは、グルへの帰依に基づき、グルの慈悲と恩恵により起こるということが意味深長。
個的ボディがあるのは、メンタル体までだから、脱身は、肉体からメンタル体で出てなどと露骨には表現しない。こころが肉体から出ると云う。
佐保田鶴治は、ダシャーを訳出していないが、忘我トランスのようなものとも考えられるとしている。ダンテス・ダイジは、こういうプロセスにおいても意識清明と説くので、この前段で忘我トランスであっても、そこを清明にはっきりしていなければならないのだろう。
ダンテス・ダイジが中心太陽への突入を説いた文を初めて見たときは、独自説かと思い、ただ目新しかったが、その後このような古代インド文献や道教やアイルランド神話、出口王仁三郎の霊界物語などにこうしたシーンが記載されているのを確認して、その正当性に改めて思いを致したのだった。
※体外離脱には3種あるが、これは最も正統的なものである。