◎現実感覚の鍵
ダンテス・ダイジが座談で、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニが接している人が有するのが、一定の現実感覚であって、悟った人、発狂した人は、これがばらばらにはずれて、現実感覚を失っていると発言している。
現実感を失えば、社会的に適応するためにリハビリが必要。これが聖胎長養ということになる。
ダンテス/ダイジの著書ニルヴァーナのプロセスとテクニックのクンダリーニ覚醒のくだりでは、ムラダーラ・チャクラから下から順番に白銀色のコード(クンダリーニ)がはずれていくシーンが描かれている。
映画マトリックスでは、背骨のチャクラにつながった何本かのチューブがバチバチと外れていき、クンダリーニとチャクラの分離の秘密を知りえた人間がこの映画を監修しているのではなどと気になったものだ。
さらにダンテス・ダイジは、悟りに至る道は、ショックか愛だと言う。ショックとは現実に直面すること。現実に直面するというのは、醒めに醒めることであって只管打坐の狙いどころでもある。
彼は、人間の行為は死の不安から来る行為と愛から来る行為の二種しかないとし、行為の99%が不安から来るもので、愛から来る行為はわずかしかないとする。その愛から来る行為を積み重ねていくことも悟りに至る道であると説明している。
ところが、ぶれないで愛を持ちながら行為するには、本当の愛がなんであるかを知らないといけないが、それすらも少なくとも御霊に感ずる体験がないとどうにもならないと思う。
クンダリーニがムラダーラ・チャクラから離れたままで生きるとは、神秘生理学的説明だが、それによってある程度知的イメージをもって理解できる人もいるだろうとこれを語ったのだろう。
プロティノスの死の床から逃げた蛇はクンダリーニだろうし、仙人が白日昇天する際に眷属を連れて車に乗ったまま天に上るというのは、おそらくクンダリーニ上昇を脚色したものだろう。
ダンテス・ダイジが座談で、ムラダーラ・チャクラとクンダリーニが接している人が有するのが、一定の現実感覚であって、悟った人、発狂した人は、これがばらばらにはずれて、現実感覚を失っていると発言している。
現実感を失えば、社会的に適応するためにリハビリが必要。これが聖胎長養ということになる。
ダンテス/ダイジの著書ニルヴァーナのプロセスとテクニックのクンダリーニ覚醒のくだりでは、ムラダーラ・チャクラから下から順番に白銀色のコード(クンダリーニ)がはずれていくシーンが描かれている。
映画マトリックスでは、背骨のチャクラにつながった何本かのチューブがバチバチと外れていき、クンダリーニとチャクラの分離の秘密を知りえた人間がこの映画を監修しているのではなどと気になったものだ。
さらにダンテス・ダイジは、悟りに至る道は、ショックか愛だと言う。ショックとは現実に直面すること。現実に直面するというのは、醒めに醒めることであって只管打坐の狙いどころでもある。
彼は、人間の行為は死の不安から来る行為と愛から来る行為の二種しかないとし、行為の99%が不安から来るもので、愛から来る行為はわずかしかないとする。その愛から来る行為を積み重ねていくことも悟りに至る道であると説明している。
ところが、ぶれないで愛を持ちながら行為するには、本当の愛がなんであるかを知らないといけないが、それすらも少なくとも御霊に感ずる体験がないとどうにもならないと思う。
クンダリーニがムラダーラ・チャクラから離れたままで生きるとは、神秘生理学的説明だが、それによってある程度知的イメージをもって理解できる人もいるだろうとこれを語ったのだろう。
プロティノスの死の床から逃げた蛇はクンダリーニだろうし、仙人が白日昇天する際に眷属を連れて車に乗ったまま天に上るというのは、おそらくクンダリーニ上昇を脚色したものだろう。