◎セクハラされまくった時代の女性の出家遁世
了然尼は、武田信玄のひ孫。徳川秀忠の娘和子が後水尾天皇の后になったが、その侍女として奉仕し、その皇后没後に、彼女は武田寿庵の妻となり、二子を産んだ。
彼女は、求道の念止みがたく、夫に自分が選んだ妾まで連れてきて、出家する条件を揃えた。
彼女は、最初鉄牛和尚のところに行ったが、経産婦で中年とはいえ容色衰えず、和尚は正法を擾乱する妖魔であるとし、門外につまみ出された。
次に彼女は駒込の白鷗禅師のところに行ったが、禅師も彼女の妖艶ぶりは修行に差し障るとして得度を認めてもらえなかった。
帰り道に通りをとぼとぼと歩いていると、ある店の店先に火熨斗(ひのし:ひしゃく型で、炭火を入れているもの)を見かけ、ちょっと貸してくださいと、それを顔に押し当てた。
その足で、白鷗禅師のところに戻り、得度を許された。
了然尼は、この勢いで禅冥想にまい進し、まもなく道を得たという。
慧春尼と同様に顔を焼いたが、了然尼は、慧春尼ほどに脱俗していたわけではなく、派手なエピソードはない。人をエピソードで語るものではないが、女性の出家遁世というのは、それほどまでのものだったのだろう。
ただ、そんな徹底した尼僧ばかりでなく現代の尼寺にも、徒食するだけの人もあるらしい。
了然尼は、武田信玄のひ孫。徳川秀忠の娘和子が後水尾天皇の后になったが、その侍女として奉仕し、その皇后没後に、彼女は武田寿庵の妻となり、二子を産んだ。
彼女は、求道の念止みがたく、夫に自分が選んだ妾まで連れてきて、出家する条件を揃えた。
彼女は、最初鉄牛和尚のところに行ったが、経産婦で中年とはいえ容色衰えず、和尚は正法を擾乱する妖魔であるとし、門外につまみ出された。
次に彼女は駒込の白鷗禅師のところに行ったが、禅師も彼女の妖艶ぶりは修行に差し障るとして得度を認めてもらえなかった。
帰り道に通りをとぼとぼと歩いていると、ある店の店先に火熨斗(ひのし:ひしゃく型で、炭火を入れているもの)を見かけ、ちょっと貸してくださいと、それを顔に押し当てた。
その足で、白鷗禅師のところに戻り、得度を許された。
了然尼は、この勢いで禅冥想にまい進し、まもなく道を得たという。
慧春尼と同様に顔を焼いたが、了然尼は、慧春尼ほどに脱俗していたわけではなく、派手なエピソードはない。人をエピソードで語るものではないが、女性の出家遁世というのは、それほどまでのものだったのだろう。
ただ、そんな徹底した尼僧ばかりでなく現代の尼寺にも、徒食するだけの人もあるらしい。