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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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海馬切除と記憶

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◎過去記憶は残る

1953年コネチカット州ハートフォード病院のスコービル医師は、重度のてんかん患者ヘンリーの海馬を吸い出した。

『手術から数日のうちに、ヘンリーの発作が極端に減ったことがはっきりした。また、何かを記憶する能力が失われたこともはっきりした。

新しい看護師が自己紹介をして、五分経って戻ってくると、ヘンリーには、それがもう誰だかまるでわからなくなっていた。自分の母親のことはわかったが、手術の日以降に新たに知った人や物事は、まったく記憶にとどめることができなかった。

五〇年経った今日でも、ヘンリーの状態は変わっていない。彼は、かなり高齢とはいえ存命であり、MITの近くの介護施設で暮らしている。母親は一九六〇年に他界したが、今でもヘンリーはそのことを聞くたびに新たな涙にくれるという。

いつでも、はじめて母の死を知らされたと思うのである。彼の頭の中ではいまたにトルーマンが大統領であり、施設の中で新しい人間関係を作ることができない。人の顔かたちや声を記憶できないのである。顔と声という、人に安らぎを与える本質的な要素を。

ヘンリーに安らぎはない。』
(心は実験できるか 20世紀心理学実験物語 ローレン・スレイター/著 紀伊國屋書店P318から引用)

ヘンリーは認知症のように新規の記憶は保持できない。しかし、過去の記憶は有しているので、海馬を取り去ったとしても過去の記憶はどこかに保持されている。それは、どこだろうか。だからといって、脳が精神活動のすべてを行っていると考える現代科学にその解があるとは思えない。

さてヘンリーに安らぎはなかったのだろうか、あったのだろうか。

トランスも深くなると、完全に社会的なことを忘れる状態があり、自分は誰?の状態がある。それはでもある。そうした社会性の喪失は絶対的孤独感と並存するのだろう。

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