◎おそるるなくば道にさからふ
出口王仁三郎の霊界物語第三巻余白歌をしみじみと読む。
1.生活
形ある宝に眼(まなこ)くらみなば
罪に汚れし身となりぬべし
(第二十二章)
人を愛で慈くしむとも天地(あめつち)に
おそるるなくば道にさからふ
(第二十二章)
味気なき舌の剣や大砲(おほづつ)は
万(よろづ)のあだを招き集むる
(第二十二章)
苦しみて数多(あまた)の人に使はれて
始めて人を使ふの道知る
(第二十九章)
2.神威
和妙(にぎたへ)の綾の聖地に召めされたる
人は伊都能売(いづのめ)みたまなりけり
(第三十三章)
奴婆玉(ぬばたま)の闇に御魂(みたま)を汚したる
ひとを清むと伊都能売の神
(第三十三章)
根底までおちたる人を救はむと
ミカエルとなり現(あ)れし伊都能売
(第三十四章)
3.信仰
神殿(かむどの)に神は在(ま)さねど人々の
斎(いつか)むたびに天降(あも)りますかも
(第十八章)
皇神(すめかみ)の恩頼(みたまのふゆ)に報いむと
直心(まごころ)かけて拝(をろ)がむ斎庭(いみには)
(第十八章)
国々の神の政(まつり)を知食(しろしめ)す
生国魂(いくくにたま)の御勲功(みいさを)著(しる)きも
(第十九章)
久方の天津御神(あまつみかみ)の御心(みこころ)は
人の魂(みたま)の基(もとゐ)なりけり
(第二十三章)
肝向(きもむかふ)人の心は天地(あめつち)の
神のまにまに動きこそすれ
(第二十三章)
反(そむ)きたる人も吾が子の如くして
神は恵みに活かせたまはむ
(第二十六章)
命まで道に捧ぐる心あらば
如何なる事も叶はざらめや
(第二十九章)
天津神依(よ)さし給ひし真心も
省みせずば曲津霊(まがつひ)とならむ
(第三十一章)
年若き時より神と呼ばれたる
人の世に立つ五六七(みろく)の神代(みよ)かな
(第三十二章)
何もかも知りつくしたる人の子の
出づる五六七(みろく)の御代ぞ待たるる
(第三十二章)
蹴落とされ踏みにじられて世のために
つくせしひとは真の神なる
(第十六章)
4.救世主としての出口王仁三郎の述懐
斯(この)道の蘊奥を深く究めたる
人のひらきし三五(あななひ)の教(のり)
(第十七章)
逆(さかしま)の世に悩みたる人草を
生いかさむとして天降(あも)りし神子(みこ)はも
(第十七章)
天津空(あまつそら)ゆ地上のために降くだりたる
ひとの子独り世を偲び泣く
(第十七章)
敷島の道開きたるひとの声は
天地四方(あめつちよも)に鳴り渡るなり
(第二十一章)
皇国(すめくに)のために誠を尽したる
人の子攻むる世こそ歎(うたて)き
(第二十一章)
背に腹を替へて斯(こ)の世に降りたる
人の子攻むる世こそ歎(うたて)き
(第二十二章)
軒ゆがみ壁の落ちたる人の家に
産声あげし瑞御魂(みづみたま)かも
(第二十四章)
高天原(たかあまはら)紫微の宮より降くだりたる
ひとつの魂(たま)ぞ世の光なれ
(第二十七章)
千早振る神の任(よさし)に天降(あも)りたる
人の御魂(みたま)は顕幽に照る
(第二十七章)
腹借て賎ケ伏家(しづがふせや)に産声を
あげたるひとの神の子珍らし
(第三十六章)
『神のまにまに』とは神意、天意のままにという神聖な言葉、諸外国にはこうした言葉はあるまい。
『命まで道に捧ぐる心あらば』というのは簡単だが、そこまでやれる準備ができた人だけが、無限の光明に入る。これは最終ステージの直前にある人のための言葉。
現代は、人口が増えたが、『蹴落とされ踏みにじられて世のためにつくせしひと』があまりにも多くなりすぎた。それが黙示録の『叫び』になっている。
出口王仁三郎の霊界物語第三巻余白歌をしみじみと読む。
1.生活
形ある宝に眼(まなこ)くらみなば
罪に汚れし身となりぬべし
(第二十二章)
人を愛で慈くしむとも天地(あめつち)に
おそるるなくば道にさからふ
(第二十二章)
味気なき舌の剣や大砲(おほづつ)は
万(よろづ)のあだを招き集むる
(第二十二章)
苦しみて数多(あまた)の人に使はれて
始めて人を使ふの道知る
(第二十九章)
2.神威
和妙(にぎたへ)の綾の聖地に召めされたる
人は伊都能売(いづのめ)みたまなりけり
(第三十三章)
奴婆玉(ぬばたま)の闇に御魂(みたま)を汚したる
ひとを清むと伊都能売の神
(第三十三章)
根底までおちたる人を救はむと
ミカエルとなり現(あ)れし伊都能売
(第三十四章)
3.信仰
神殿(かむどの)に神は在(ま)さねど人々の
斎(いつか)むたびに天降(あも)りますかも
(第十八章)
皇神(すめかみ)の恩頼(みたまのふゆ)に報いむと
直心(まごころ)かけて拝(をろ)がむ斎庭(いみには)
(第十八章)
国々の神の政(まつり)を知食(しろしめ)す
生国魂(いくくにたま)の御勲功(みいさを)著(しる)きも
(第十九章)
久方の天津御神(あまつみかみ)の御心(みこころ)は
人の魂(みたま)の基(もとゐ)なりけり
(第二十三章)
肝向(きもむかふ)人の心は天地(あめつち)の
神のまにまに動きこそすれ
(第二十三章)
反(そむ)きたる人も吾が子の如くして
神は恵みに活かせたまはむ
(第二十六章)
命まで道に捧ぐる心あらば
如何なる事も叶はざらめや
(第二十九章)
天津神依(よ)さし給ひし真心も
省みせずば曲津霊(まがつひ)とならむ
(第三十一章)
年若き時より神と呼ばれたる
人の世に立つ五六七(みろく)の神代(みよ)かな
(第三十二章)
何もかも知りつくしたる人の子の
出づる五六七(みろく)の御代ぞ待たるる
(第三十二章)
蹴落とされ踏みにじられて世のために
つくせしひとは真の神なる
(第十六章)
4.救世主としての出口王仁三郎の述懐
斯(この)道の蘊奥を深く究めたる
人のひらきし三五(あななひ)の教(のり)
(第十七章)
逆(さかしま)の世に悩みたる人草を
生いかさむとして天降(あも)りし神子(みこ)はも
(第十七章)
天津空(あまつそら)ゆ地上のために降くだりたる
ひとの子独り世を偲び泣く
(第十七章)
敷島の道開きたるひとの声は
天地四方(あめつちよも)に鳴り渡るなり
(第二十一章)
皇国(すめくに)のために誠を尽したる
人の子攻むる世こそ歎(うたて)き
(第二十一章)
背に腹を替へて斯(こ)の世に降りたる
人の子攻むる世こそ歎(うたて)き
(第二十二章)
軒ゆがみ壁の落ちたる人の家に
産声あげし瑞御魂(みづみたま)かも
(第二十四章)
高天原(たかあまはら)紫微の宮より降くだりたる
ひとつの魂(たま)ぞ世の光なれ
(第二十七章)
千早振る神の任(よさし)に天降(あも)りたる
人の御魂(みたま)は顕幽に照る
(第二十七章)
腹借て賎ケ伏家(しづがふせや)に産声を
あげたるひとの神の子珍らし
(第三十六章)
『神のまにまに』とは神意、天意のままにという神聖な言葉、諸外国にはこうした言葉はあるまい。
『命まで道に捧ぐる心あらば』というのは簡単だが、そこまでやれる準備ができた人だけが、無限の光明に入る。これは最終ステージの直前にある人のための言葉。
現代は、人口が増えたが、『蹴落とされ踏みにじられて世のためにつくせしひと』があまりにも多くなりすぎた。それが黙示録の『叫び』になっている。