◎個人主義と輪廻転生がない人生観
ユダヤ教にも輪廻転生がない。キリスト教と同様に死後の復活は、最後の審判前に釜の蓋が開いて一時的に復活するだけである。
輪廻転生とは時間のある世界でのことであって、それ自体真理か否かを問われる命題とは言えないものの、大衆宗教にあって、民衆が世界観、人生観を組み上げる素材としては無視できない。
この人生が一回きりだというところは良いが、神を知らない身で、「今、ここ」すなわち時間のない世界のほうがリアルであるという実感がなければ、人間は、ともすれば、享楽的、刹那的に、自己中心的に振る舞うものである。その結果は今の時代のような地獄的時代が出来上がる。
近代西欧文明のバックボーンはキリスト教だが、その実は一人で生きて一人で死ぬ個人主義的ライフスタイルと輪廻転生のない死後の世界という人生観がセットになって支配的と見ることができる。
そうした環境において、人間精神の自然な方向性として、人は正しく、善く、愛に生きることができるかといえば、決してそうではない。
欧米では拝金の一方でドラッグと結婚生活の崩壊による孤立した生活スタイルが蔓延し、日本では、実質的な無宗教無神論の浸透と、貧困化と核家族化の同時進行により、欧米と同様に孤立した生活スタイルが普及し、精神病者はうつ病を中心に急増している。
こうして人が人らしく生きるためには、ライフ・スタイルは、現代人にとって死命を制すものであると気が付く。
人は生活を立て直すには、気力が必要である。若い時分は体力があったので、ほっといても気力に変換できるエネルギーはあったので、そのエネルギーをどう操作していくかが主要テーマではあった。ところが老境になっては、気力の涵養も体力維持と合わせて必要であるとひしひし感じられる。
マントラ念唱による身心の調整、呼吸法、柔軟体操、ハタ・ヨーガ(特に屍体のポーズはリラックスの極みとしてはずせない。)、こうしたメニューの中から自分に合ったものをチョイスして、調子を整え、冥想に向かう。
サッカーの試合や好きなテレビや読書、入浴、食事、家事もあるので、フルには消化できないこともある。
近年はメニューにジョギングも入ってきたので、ますます忙しい。こうした中で、改めて心身の急速な疲労回復と特に気力充填はもっときちんとやらなければならないと考えさせられるこの頃である。
時間はますます重要なものであると日々思い知らされる。
ユダヤ教にも輪廻転生がない。キリスト教と同様に死後の復活は、最後の審判前に釜の蓋が開いて一時的に復活するだけである。
輪廻転生とは時間のある世界でのことであって、それ自体真理か否かを問われる命題とは言えないものの、大衆宗教にあって、民衆が世界観、人生観を組み上げる素材としては無視できない。
この人生が一回きりだというところは良いが、神を知らない身で、「今、ここ」すなわち時間のない世界のほうがリアルであるという実感がなければ、人間は、ともすれば、享楽的、刹那的に、自己中心的に振る舞うものである。その結果は今の時代のような地獄的時代が出来上がる。
近代西欧文明のバックボーンはキリスト教だが、その実は一人で生きて一人で死ぬ個人主義的ライフスタイルと輪廻転生のない死後の世界という人生観がセットになって支配的と見ることができる。
そうした環境において、人間精神の自然な方向性として、人は正しく、善く、愛に生きることができるかといえば、決してそうではない。
欧米では拝金の一方でドラッグと結婚生活の崩壊による孤立した生活スタイルが蔓延し、日本では、実質的な無宗教無神論の浸透と、貧困化と核家族化の同時進行により、欧米と同様に孤立した生活スタイルが普及し、精神病者はうつ病を中心に急増している。
こうして人が人らしく生きるためには、ライフ・スタイルは、現代人にとって死命を制すものであると気が付く。
人は生活を立て直すには、気力が必要である。若い時分は体力があったので、ほっといても気力に変換できるエネルギーはあったので、そのエネルギーをどう操作していくかが主要テーマではあった。ところが老境になっては、気力の涵養も体力維持と合わせて必要であるとひしひし感じられる。
マントラ念唱による身心の調整、呼吸法、柔軟体操、ハタ・ヨーガ(特に屍体のポーズはリラックスの極みとしてはずせない。)、こうしたメニューの中から自分に合ったものをチョイスして、調子を整え、冥想に向かう。
サッカーの試合や好きなテレビや読書、入浴、食事、家事もあるので、フルには消化できないこともある。
近年はメニューにジョギングも入ってきたので、ますます忙しい。こうした中で、改めて心身の急速な疲労回復と特に気力充填はもっときちんとやらなければならないと考えさせられるこの頃である。
時間はますます重要なものであると日々思い知らされる。