◎良哉元明への印可
白隠は、臨済禅における天下の大宗匠ではあるが、いささか不徹底なところがあるのは否めない。自らを恃む気持ちが強すぎるせいだろうか。
良哉元明は、尾張出身の人。宮崎の大光寺の古月禅材禅師に参じて悟りを得て、次に静岡の松蔭寺の白隠に相見し、一目見て「文殊がやってきた。」と歓迎され、ここに居ること数年で、白隠の印可を得た。
良哉元明の近江での偈
「錦嚢の獅子児を活捉(かつしゃく)して
虚空背上、人に与えて騎(の)せしむ
大湖三万頃の秋水
一碧渺漫たり月の満つる時」
獅子児は、世界全体だが、人に与えて云々というのはどうなのか。
この偈だけが問題ではないのだろうが、後に白隠は、「良哉への印可は3年早かった。今良哉は埒があかぬ。」と侍僧に語ったという。
侍僧がなぜその時印可したのかと白隠に問うと、白隠は「あの時、こんな立派な者はいないと思ったので印可した」という。
白隠の感激性は愛すべきだが、不徹底ぶりを咎める人は咎めるのだろう。
白隠は、臨済禅における天下の大宗匠ではあるが、いささか不徹底なところがあるのは否めない。自らを恃む気持ちが強すぎるせいだろうか。
良哉元明は、尾張出身の人。宮崎の大光寺の古月禅材禅師に参じて悟りを得て、次に静岡の松蔭寺の白隠に相見し、一目見て「文殊がやってきた。」と歓迎され、ここに居ること数年で、白隠の印可を得た。
良哉元明の近江での偈
「錦嚢の獅子児を活捉(かつしゃく)して
虚空背上、人に与えて騎(の)せしむ
大湖三万頃の秋水
一碧渺漫たり月の満つる時」
獅子児は、世界全体だが、人に与えて云々というのはどうなのか。
この偈だけが問題ではないのだろうが、後に白隠は、「良哉への印可は3年早かった。今良哉は埒があかぬ。」と侍僧に語ったという。
侍僧がなぜその時印可したのかと白隠に問うと、白隠は「あの時、こんな立派な者はいないと思ったので印可した」という。
白隠の感激性は愛すべきだが、不徹底ぶりを咎める人は咎めるのだろう。