◎心身なきとき、たしかに知る、色即是空
江戸時代の禅僧至道無難は、白隠の先々代の師匠に当たる(至道無難→正受→白隠)。白隠と違ってその徹底ぶりは、見事なものがある。
至道無難の自性記から。
『六祖大師坐禅の次第。言句に及ばず有りがたきことなれども、童女の聞くには、及びがたき所あり。
予、御心を請けて、
坐禅
色々妄想起る時、つよく禅定にはいるべし。
清浄になる。
禅定の功徳なり。
坐禅成就時
心身なきとき、たしかに知る、色即是空、空即是色におちつく時、諸悪莫作、衆善奉行、疑い無し。』
六祖大師は、禅の六祖慧能のこと。彼の説は女子供にはわかりにくいところがあるという信者の話を請けて、無難が説明している。
クリティカルなのは、坐禅成就とは心身ないとしているところ。臨済系でありながら、道元の身心脱落を認めている。
その境地は、色即是空、空即是色であり、そうなれば善いことばかりを行い悪いことを一切しなくなる。
ここは俗人に対しては証明不可能なことだが、至道無難は太鼓判を押している。
冥想が社会を善くするというのは、まずはこの一点にある。まずはそれを本当だと思うかどうかにかかる。
江戸時代の禅僧至道無難は、白隠の先々代の師匠に当たる(至道無難→正受→白隠)。白隠と違ってその徹底ぶりは、見事なものがある。
至道無難の自性記から。
『六祖大師坐禅の次第。言句に及ばず有りがたきことなれども、童女の聞くには、及びがたき所あり。
予、御心を請けて、
坐禅
色々妄想起る時、つよく禅定にはいるべし。
清浄になる。
禅定の功徳なり。
坐禅成就時
心身なきとき、たしかに知る、色即是空、空即是色におちつく時、諸悪莫作、衆善奉行、疑い無し。』
六祖大師は、禅の六祖慧能のこと。彼の説は女子供にはわかりにくいところがあるという信者の話を請けて、無難が説明している。
クリティカルなのは、坐禅成就とは心身ないとしているところ。臨済系でありながら、道元の身心脱落を認めている。
その境地は、色即是空、空即是色であり、そうなれば善いことばかりを行い悪いことを一切しなくなる。
ここは俗人に対しては証明不可能なことだが、至道無難は太鼓判を押している。
冥想が社会を善くするというのは、まずはこの一点にある。まずはそれを本当だと思うかどうかにかかる。