◎霊に四種類あり
至道無難禅師の自性記から、霊がかりではない霊の話。
『ある人曰く、天下に死者の霊があって、人も家も亡ぶことは事実ですと。
私曰く、霊に四種類がある。
一に国の霊。国の霊は、昔の国主が、国を子孫に伝ヘようと思ふ念が残ったのだ。二に屋敷の霊。三に家の霊、城の場合も同じ。以上の三つは、その場所を去れば別に何といふこともない。
家の苗字の霊は、どこへ行つても免れられぬ。立派な高徳の僧にお願ひして弔へばよろしい。』
(日本の禅語録十五 無難正受/講談社P149-150から引用)
死者の霊とは原文では死霊のこと。現代では国の霊はほとんど影響はない。屋敷の霊、家の霊、城の霊は、その場を去れば影響ないとしているので、ネガティブ・パワースポットというものはあるが、引っ越せば問題ないとする。
ところが名字の霊は、家系の因縁のことであり、こればかりは逃れられぬ。これについて至道無難は、高徳の僧に頼んで弔ってもらうべきとする。
人間もいい加減年齢を重ねいろいろな出来事に出会ってみると、確かに家系の因縁というものはあるように思いあたる。そう思う人も少なくあるまい。
これについて至道無難は、自分が悟れば九族昇天すというように自分が大悟覚醒することもその解決の一ではあるが、ここではそれは言わずに、別の善知識による法要を勧めた。
この相談者は、そういう感じではなかったのだろう。
家族の中には、そうした影響を中心的に受けてしまう人もいる。
人の魂は出産時に飛び込んでくるのではなく、受胎時だという。その時点で自ら家系の因縁をも選んできたのだろう。
そうした一方で生活基盤が田舎の菩提寺から、都会に移ってきてしまって、菩提寺と墓所に縁遠くなるケースも多いようだ。
それでも日々できる精進、できる冥想はしていかないと。
至道無難禅師の自性記から、霊がかりではない霊の話。
『ある人曰く、天下に死者の霊があって、人も家も亡ぶことは事実ですと。
私曰く、霊に四種類がある。
一に国の霊。国の霊は、昔の国主が、国を子孫に伝ヘようと思ふ念が残ったのだ。二に屋敷の霊。三に家の霊、城の場合も同じ。以上の三つは、その場所を去れば別に何といふこともない。
家の苗字の霊は、どこへ行つても免れられぬ。立派な高徳の僧にお願ひして弔へばよろしい。』
(日本の禅語録十五 無難正受/講談社P149-150から引用)
死者の霊とは原文では死霊のこと。現代では国の霊はほとんど影響はない。屋敷の霊、家の霊、城の霊は、その場を去れば影響ないとしているので、ネガティブ・パワースポットというものはあるが、引っ越せば問題ないとする。
ところが名字の霊は、家系の因縁のことであり、こればかりは逃れられぬ。これについて至道無難は、高徳の僧に頼んで弔ってもらうべきとする。
人間もいい加減年齢を重ねいろいろな出来事に出会ってみると、確かに家系の因縁というものはあるように思いあたる。そう思う人も少なくあるまい。
これについて至道無難は、自分が悟れば九族昇天すというように自分が大悟覚醒することもその解決の一ではあるが、ここではそれは言わずに、別の善知識による法要を勧めた。
この相談者は、そういう感じではなかったのだろう。
家族の中には、そうした影響を中心的に受けてしまう人もいる。
人の魂は出産時に飛び込んでくるのではなく、受胎時だという。その時点で自ら家系の因縁をも選んできたのだろう。
そうした一方で生活基盤が田舎の菩提寺から、都会に移ってきてしまって、菩提寺と墓所に縁遠くなるケースも多いようだ。
それでも日々できる精進、できる冥想はしていかないと。