◎もうひとつの光
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、12世紀ドイツの修道女。幻視者の常として身体が弱く病気がちであった。
彼女は霊界宇宙を幻視したが、当時は天動説であり、物質界宇宙と霊界宇宙の区別もわからない時代。ただ彼女は光には2種あることをわかっていた。
『それゆえ、私が見ます光は空間的なものではなく、太陽を運ぶ雲よりもずっとずっと明るいものです。私はその高さも長さも幅もはかることができません。ですから私はそれを「生ける<光>の反映」と呼んでいます。
そして太陽や月や星たちが水に映って現れるように、著作、聖書訓話、徳、ある種の人間的行為も、その内部で私のために形をとり、輝くのです。
(中略)
さらに、太陽をまともに見られないのと同じように、この光の形がどのようなものになっているのかも私にはわかりません。
しょっちゅうではないのですが、ときどき、この光の内部にもうひとつの光が見えます。
私はそれを「生ける〈光〉」とよんでおります。
いつ、そしてどのように私がそれを見るのかは述べられませんが、それを見ているあいだは、悲しみや苦しみがすべて私から離れています。ですからその時は、自分が年老いた女ではなくて無垢な少女のように感じられます。』
(ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 女性的なるものの神学 バーバラ・ニューマン/著 新水社P27-28から引用)
神は言葉では、言い表せないが、彼女は神を生ける光として見ている。
彼女は2種の光というが、アヴィラのテレサは奇跡には2種あると言った。
彼女はこの文章(手紙)を70歳で書いている。
苦悩も悲劇も苦痛もない、生ける光、それは、人間に属するものではあるまい。
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは、12世紀ドイツの修道女。幻視者の常として身体が弱く病気がちであった。
彼女は霊界宇宙を幻視したが、当時は天動説であり、物質界宇宙と霊界宇宙の区別もわからない時代。ただ彼女は光には2種あることをわかっていた。
『それゆえ、私が見ます光は空間的なものではなく、太陽を運ぶ雲よりもずっとずっと明るいものです。私はその高さも長さも幅もはかることができません。ですから私はそれを「生ける<光>の反映」と呼んでいます。
そして太陽や月や星たちが水に映って現れるように、著作、聖書訓話、徳、ある種の人間的行為も、その内部で私のために形をとり、輝くのです。
(中略)
さらに、太陽をまともに見られないのと同じように、この光の形がどのようなものになっているのかも私にはわかりません。
しょっちゅうではないのですが、ときどき、この光の内部にもうひとつの光が見えます。
私はそれを「生ける〈光〉」とよんでおります。
いつ、そしてどのように私がそれを見るのかは述べられませんが、それを見ているあいだは、悲しみや苦しみがすべて私から離れています。ですからその時は、自分が年老いた女ではなくて無垢な少女のように感じられます。』
(ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 女性的なるものの神学 バーバラ・ニューマン/著 新水社P27-28から引用)
神は言葉では、言い表せないが、彼女は神を生ける光として見ている。
彼女は2種の光というが、アヴィラのテレサは奇跡には2種あると言った。
彼女はこの文章(手紙)を70歳で書いている。
苦悩も悲劇も苦痛もない、生ける光、それは、人間に属するものではあるまい。