◎自分の恐怖を見るのを恐れる
クリシュナムルティの語る恐怖の文脈は以下のようなものである。
恐怖には、肉体的恐怖と心理学的恐怖がある。心理学的恐怖を理解できれば肉体的恐怖をも理解できる。
人はみな何かについて恐れを抱いているが抽象化されたものに恐れはなく、常に具体的な何かに恐怖が存在している。職を失う恐怖、食物や金が十分にないという恐怖。家族を失う恐怖など。
人はその恐怖から逃げ出したり、恐怖を隠すために何か観念かイメージを作り出すものだが、それは恐怖をふやすことになっているだけ。
恐怖を生み出す主な原因の一つは、あるがままの自分と直面しようとしないこと。
人は確信のあるものから不確かなものへと変化する可能性をみると恐怖し、慣れたものから慣れないものへと変わる可能性を見ると恐怖する。
人は、将来起こるだろうこと不安に思うのだが、これは将来のことを思考すると、これが恐怖感をもたらす仕組みとなる。思考は恐怖を生み出す張本人。
クリシュナムルティは、恐怖が存在するのは、思考が入って来たときだけであり、だからこそ人は恐怖に直面することができる。
ところが、いつもあるがままの自分を見ないで済ますようにするため、人はたえず他のことで心を一杯にしておきたいと思っている。自分の恐怖を見るのを恐れているからだ。
(続く)
クリシュナムルティの語る恐怖の文脈は以下のようなものである。
恐怖には、肉体的恐怖と心理学的恐怖がある。心理学的恐怖を理解できれば肉体的恐怖をも理解できる。
人はみな何かについて恐れを抱いているが抽象化されたものに恐れはなく、常に具体的な何かに恐怖が存在している。職を失う恐怖、食物や金が十分にないという恐怖。家族を失う恐怖など。
人はその恐怖から逃げ出したり、恐怖を隠すために何か観念かイメージを作り出すものだが、それは恐怖をふやすことになっているだけ。
恐怖を生み出す主な原因の一つは、あるがままの自分と直面しようとしないこと。
人は確信のあるものから不確かなものへと変化する可能性をみると恐怖し、慣れたものから慣れないものへと変わる可能性を見ると恐怖する。
人は、将来起こるだろうこと不安に思うのだが、これは将来のことを思考すると、これが恐怖感をもたらす仕組みとなる。思考は恐怖を生み出す張本人。
クリシュナムルティは、恐怖が存在するのは、思考が入って来たときだけであり、だからこそ人は恐怖に直面することができる。
ところが、いつもあるがままの自分を見ないで済ますようにするため、人はたえず他のことで心を一杯にしておきたいと思っている。自分の恐怖を見るのを恐れているからだ。
(続く)